『大日本史料』 11編 2 天正10年7月 p.301

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にまりりいづ、其時分伊豆國乃御陣、駿河乃船手乃ものどもと、正綱一つれ, にく討とる首、敵陣の前に梟せらるゝ乃ところ、いよ〳〵正躰なけれは、遠, ば、方々相とづ手、正綱にあひて仰乃む手をかたりしゆへ、すなはち御奉公, 兵を發してこ〓を追うち、首三十五級を討とる、このとき東照宮甲斐國に, 御進發あるにより、重次、かの地のこととも告たそまつるの所、八月十四日、, づ手いだし候へ、御かゝへなされ〓きむ手、本多作左衞門に仰付らまきれ, 旨きこしめさこ、なを諸勢を指南すへきのよし台命あり、また甲斐國黒駒, にまかりむかひ、伊豆の國西浦田子に、山本信濃といふものゝ屋鋪へ正綱, 阿部善九郎正勝、本多彌八郎正信、大久保新十郎忠隣連名の奉書をもて、其, からすして敗軍たるへし、三枚橋、興國寺等へ乃飛脚御油斷あるへからは, 功を賞したまひ、重次在々に放火し、ことに足城を破り、をの〳〵高名有の, 甲州沒落の後、浪人となり罷あ, 北條家乃兵、伊豆國戸倉城より出て、駿河國沼津城を襲ふ、重次、沼津城より, る乃とこあに、天正十一年、東照大權現乃御諚には、向井兵庫といふもの、と, るのむ〓仰下さる、, 向井正綱, 〔寛永諸家系圖傳〕十四向井正綱, 〔寛永諸家系圖傳〕, 下略, ○上, 兵庫, 頭、, 十四, 戸倉城ヨ, リ出デ沼, 津城ヲ襲, 向井正綱, 氏政ノ兵, 山本信濃, フ, 天正十年八月十四日, 三〇一

割注

  • 下略
  • ○上
  • 兵庫
  • 頭、
  • 十四

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  • 戸倉城ヨ
  • リ出デ沼
  • 津城ヲ襲
  • 向井正綱
  • 氏政ノ兵
  • 山本信濃

  • 天正十年八月十四日

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  • 三〇一

注記 (32)

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