『大日本史料』 11編 2 天正10年7月 p.512

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第なり、, はめて、急き田部に漕歸る、石寺か家來、或ひは討れ、或ひは海へ投込、壹人も, 安の徳内左衞門飛かゝつて、石寺治右衞門を一太刀に打はなし、海中へ〓, 々を捨けれは、何の手間取事もなく、加佐郡治りける、天正十年壬午の十月, ゆくし、次手に義俊へ申入られけるは、老人殊こ冬年ゟ殊之外寒氣痛、行末, に、丹後五郡悉細川殿の手に入て、則ち國主と成給ふて、いかめしかりし次, 不殘〓されたり、松井佐渡大に怒て、討死せんとひしめけとも、田部衆は大, 田部著陣せられしか、彼八人の地頭とも、各妻子を引つれて、思々に立退、城, 心元なく存る也、かく迄聟舅となり、なかく一國を納めん印にわ、何卒一度, 歸りつゝ、藤孝へ此よし申けれは、さらは田部へ可向と、藤孝直に出馬有て、, 勢也、舟は次第に漕離、いかんともすへき樣なかりけれは、是非なく宮津へ, 一然る所天正十年正月十日こ、長岡藤孝使者をもつて、年始之加儀をし, 當城御入有て、忠興、興元とも、兄弟のましわりなし被下、老人か心を休たま, こらは、此世の本望此上なしとて、御孫忠隆。米田與七郎を相添弓木の城へ, 〔一色軍記〕一色式部大輔義道之事, ○上, 略, 去ル, 丹後五郡, 悉ク平定, 諸士國ヲ, 加佐郡ノ, 隆ヲ弓木, 藤孝孫忠, ニ遣シテ, ス, 天正十年九月八日, 五一二

割注

  • ○上

頭注

  • 去ル
  • 丹後五郡
  • 悉ク平定
  • 諸士國ヲ
  • 加佐郡ノ
  • 隆ヲ弓木
  • 藤孝孫忠
  • ニ遣シテ

  • 天正十年九月八日

ノンブル

  • 五一二

注記 (28)

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