『大日本史料』 11編 2 天正10年7月 p.521

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に渡さぬは手柄、挨拶終て其日は暮にけり、, か工のほと、闇打の次第推量に違わす、興元、松井、有吉三手になりて出陣す, ゟ加勢致させ、その跡の小勢をはかつて、當城へ向わんため、忠興出陣あら, るに、先船は經ケ崎こゆる見へたり、察る所竹野熊野の浦々を責かけ、當城, は田邊の打手引受、花〳〵しき軍して、名を後代に殘さんと評定半へ、一色, 之上の御事也、此度京都將軍家の廻文到來の日より、御切腹進申度存れと, 惣左衞門義俊の御首を、絹に包、自せなに負、外に敵の首二三十家來に持せ、, 大和守ゟ注進來てかたりける、昨廿三日午刻下りゟ、松倉之卅石に軍始り、, 寄ての大將松井四郎右衞門船にて押寄候所に、くがゟ鐵炮にて、打すくめ, 血刀提て立歸る、數ケ所の疵に打伏なから、泪とともに語りける、昨日沼田, すと覺たり、急かくこ仕たまふ〓しとかたりける、大江、杉山承て、尤成程注, こ語る、大江越中守泪とともに被申けるは、義俊公かくなりたもふ事、覺悟, 進一々承知仕る、先々御休足有て、手疵を養生したもふ〓し、義俊の御首敵, も、せめて敵の城内へ入込、恨を告て、其上御切腹とはからひけるなり、此上, 翌廿四日、大江、杉山觸状三通認メ、三郡へ觸ける、然る所熊野郡佐野備前守、, 松井康之, 松倉ヲ攻, ム, 天正十年九月八日, 五二一

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  • 松井康之
  • 松倉ヲ攻

  • 天正十年九月八日

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  • 五二一

注記 (20)

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