『大日本史料』 11編 2 天正10年7月 p.523

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らす百騎はかり懸通り、馳もとし、三方より〓立れは、さしもの大軍とふ〓, おいて、闇討の返禮鑓一筋まいらせんと、或は馬上、あるいわかち立、面もふ, 〓らめかす、大村長門、松田越前引續て打て出る、長岡勢はしとろになり、爰, ちくいに取まかれ、色めき立は、此方ゟ星野周防守、岡半平と名乘、近江鑓を, ん、さすれは義俊は死たりと思ふ長岡勢、あんに相違のおもひをなす〓し、, たゝかふ時に、ふしきや小かけゟ、一色五郎義俊と名乘、先日田邊の城中こ, られたれは、敵を欺く一つ之計略、我一色五郎義俊と改名して相たゝかわ, また先日田邊の城内こおいて、沼田、石川の口論を聞ては、沼田も當家を見, 捨るにもあらす、さすれは義俊の討死は僞とおもわは、沼田、有吉、松井等初, こふさんのるつはら、敵の疑かゝるはししよふ、其時興元兄弟も彼等と, の注進櫛のはを引かどく、中にもぬし〓こ候は、伊藤彌右衞門、茂呂助之進、, とには向まし、此義如何と有けれは、大江、杉山を初、籠城之諸士御尤之よふ, けひなりと、恐入て敬ひける、, 松田遠江守、五百餘人の軍士を三方と分て横鑓を入、おもふまゝにいとみ, 斯而廿五日早天より、吉原の城、下岡の城、岩山の城三ケ所と軍おこり、追々, 沼田有士吉, 松井ハ降, 參ノ衆ト, ノ説, 近江鑓, 天正十年九月八日, 五二三

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  • 沼田有士吉
  • 松井ハ降
  • 參ノ衆ト
  • ノ説
  • 近江鑓

  • 天正十年九月八日

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  • 五二三

注記 (22)

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