『大日本史料』 11編 2 天正10年7月 p.582

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を捨て味方に屬すへし、二人の子共不便也といへ共、義に臨ては力なしと、, ける、抑三好山城守は、一子并家臣大嶋丹波か男子を人質として、岡豐に指, そと、其故を尋聞は、山城守か父笑岸齋、今度織田三七殿の先手として、當國, さす事を談、親睦深かりしか、今如何成故に人質を捨て、敵の色を立られし, に及はん、又二人を助けんとすれは、父乃意に違ふ、進退爰に極りたるは如, に下られし時、山城守に對面して申されけるは、汝宮内少か幕下に屬する, 大嶋丹波を呼て、かやう〳〵の次第也、父の命に隨ふ時は、二人の人質生害, 一度は怒り一度は諫られしかは、陳するに詞なうして、畏候と答て座を立、, 族從類爭か安穩なるへき、汝再ひ耻辱に及はん事こそ口惜けれ、急お人質, し、子孫の面をよごす、生前死後の瑕瑾也、况三七殿御下向の上は、元親か一, 置しかは、二心疑なく、元親他に異にして一族の思ひをなし、互に心底を殘, 事、一旦の害を遁れんか爲、理には似たれ共、云甲斐なた所存、先祖乃名を下, はす、或は討れ、又は落失、殘り些に成けれは、力及はす、山城守下郡さして落, 行、夫ゟ河内國へ立越けるとそ聞えし、則城をは、比江山掃部助親興に給り, 何にと、大息繼て申されけれは、丹波承、兎角の返答にも及はす、指うつむい, 式部少輔, 咲巖三好, 咲巖阿波, ニ下向ス, ニ説キテ, 元親ニ叛, カシム, 天正十年九月二十一日, 五八二, 天正十年九月二十一日

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  • 式部少輔
  • 咲巖三好
  • 咲巖阿波
  • ニ下向ス
  • ニ説キテ
  • 元親ニ叛
  • カシム

  • 天正十年九月二十一日

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  • 五八二
  • 天正十年九月二十一日

注記 (25)

  • 660,638,60,2233を捨て味方に屬すへし、二人の子共不便也といへ共、義に臨ては力なしと、
  • 1597,636,59,2215ける、抑三好山城守は、一子并家臣大嶋丹波か男子を人質として、岡豐に指
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