『大日本史料』 11編 2 天正10年7月 p.585

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ノ志アリ、其後ハ信長ヲ後楯ニシテ居タリシカ、信長薨シ玉ヒテ後、元親力, きに、陰徳有は陽報有、情は人の爲ならすとは、かやうの事をや申屋き、, 與へ〓害し給はゝ、軍の習とは云なから、笑岸父子いか計遺恨に思はるへ, ノ城落去シテ、岩倉一城ハカリ殘ケル, されける、斯て土佐へ使者を立、厚く禮謝をなし給ふ、其後宮内少輔、太閤秀, を合、斯る仁者に敵せし事こそ愚なれ、此厚恩七生迄も忘るへからすと申, 情、船中にての饗應、委語りけれは、笑岸餘りの事に〓を流、土佐の方へ向手, 吉公へ降參有、上京の時、笑岸父子公義を取持、厚く饗應なされしかは、秀吉, 公、秀次公の御懇志に預り給ふ、元親家臣の諫に任せ、二人の子共に耻辱を, 守入道自遁カ居城也、イマタ元親ニモ服セス、三好ニモ同心セスシテ自立, ヲ得テ、四國ニ横行スル故ニ、城ヲ明捨テ淡州へ退去ス、坂西、夷ノ山、一ノ宮, 又无養ノ内ニ木津山ノ城ニハ、篠原肥前, したる人の再蘓生の心地にて、悦給ふ事限なし、二人の子共岡豐にての烈, 阿州岩倉城攻記, 〔南海治亂記〕九勝瑞城攻記, ・ル、前掲、元親一代記ニ大抵同ジ, ○上略、元親、勝瑞ヲ降スコトニカ, ○下, 略, 天正十年九月二十一日, 五八五

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  • ・ル、前掲、元親一代記ニ大抵同ジ
  • ○上略、元親、勝瑞ヲ降スコトニカ
  • ○下

  • 天正十年九月二十一日

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  • 五八五

注記 (21)

  • 608,628,67,2213ノ志アリ、其後ハ信長ヲ後楯ニシテ居タリシカ、信長薨シ玉ヒテ後、元親力
  • 1090,632,61,2083きに、陰徳有は陽報有、情は人の爲ならすとは、かやうの事をや申屋き、
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