『大日本史料』 11編 2 天正10年7月 p.754

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三十六、法名淨雲、妻は酒井雅樂頭正親が女、, がけして鳶巣山の要害をせめやぶり、數多の首級を得たり、のち仰を承, を構へて屡相戰ふ、十二年五月、遠江國掛川城を攻とり給ひ、家忠に仰て、, しかば、城代青木又四郎某、和を乞て城を避わたす、こゝに於て、家忠も三, 國二股城をせむ、家忠援兵として發向せしに、甲軍多勢を以て急にせめ, 今川氏眞を伊豆國戸倉に送らしめ給ふ、此月鈎命によりて、石川家成は, りて武田が陣に至る、十二月廿二日、三方原の合戰にも軍忠を勵ます、天, りて遠江國小山城をとり、同國小笠山に砦を構へてこれを守る、十年七, 方原の大菩薩といふ所にて、質をとりかはす、家臣松平新介廣房。質とな, 正三年五月、長篠の役には、松平上野介康忠と共に、酒井忠次に副られ、先, 掛川城を守り、家忠は馬伏塚の要害を守る、元龜三年十月、武田信玄遠江, 月、甲斐國にうちいらせたまひしには、男家信とともに忠次が部下に屬, す、其餘御出陣ごとに從ひたてまつる、十月十六日、形原にをいて死す、年, 家忠永祿七年、吉田の城主小原資良を攻給ひしとき、家忠了念寺口に砦, 松平家譜〕家忠左太郎、後又七郎ト云、後又紀伊守ト改ム、家廣ノ嫡, 〕, 丹波, 龜山, 天正十年十月十六日, 七五四

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  • 天正十年十月十六日

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