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きゝ、速に船を出してむりべたてまつりしかは、をの船に建たる金の鐘, しめ、御氣色をうかゝふの處、御前にめされ、懇のおほせをかうふり、御羽, 御留守居をうけた)了はり、家臣兒島源太郎正久をして、御陣におもむら, せをかうふり、與力の士七十人を附屬せらる、十二年四月、長久手合戰の, の御船印を御覽ありて、重忠り出しけるをし海しめされ、則乘うにらせ, とた、領知を相模國大住郡甘繩にうつはれ、後武藏國入間郡川越城をた, りて、御婚姻をむすひたまひ、十四年五月十四日、朝日姫濱松城に御入輿, とき、兵を出して相たゝかふ、家臣河合甚四郎某戰死す、後太閤と和議あ, まひ、一萬石を領す、文祿元年、肥前國名護屋に御出陣のとき、重忠江戸の, 壹まひて、岡崎に著御あり、よりくかの御船印を重忠にたまふ、後これを, あり、この日重忠御輿請取の役をにとむ、十八年、關東にいらせたまふの, 織をかつけらる、これよりさを東照宮より、重忠に家臣二十四人を附屬, 馬驗に用ふ、十一年、織田信雄のもとに、密旨の御使として、尾張國におも, むく、このときにあたり、信雄、豐臣太閤と矛盾にをよふのとこ海、丸子城, は、尾三兩國要害の地なるにより、弟忠利とゝもに守衞すべきよしたほ, 元和三年七月二十一日, 城ニ移封, タ川越城, 相模甘繩, シ尋デマ, ニ轉ズ, 金鐘ノ船, 家康ヨリ, 家臣二十, 四人ヲ附, 印, 四六〇
頭注
- 城ニ移封
- タ川越城
- 相模甘繩
- シ尋デマ
- ニ轉ズ
- 金鐘ノ船
- 家康ヨリ
- 家臣二十
- 四人ヲ附
- 印
ノンブル
- 四六〇
注記 (27)
- 1809,757,60,2116きゝ、速に船を出してむりべたてまつりしかは、をの船に建たる金の鐘
- 305,754,69,2109しめ、御氣色をうかゝふの處、御前にめされ、懇のおほせをかうふり、御羽
- 420,749,65,2108御留守居をうけた)了はり、家臣兒島源太郎正久をして、御陣におもむら
- 1115,751,62,2113せをかうふり、與力の士七十人を附屬せらる、十二年四月、長久手合戰の
- 1694,753,60,2113の御船印を御覽ありて、重忠り出しけるをし海しめされ、則乘うにらせ
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