『大日本史料』 11編 4 天正11年4月 p.151

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つゝ、其功をあらはし切腹してけり、, 以來何之〓期に如此清た事共やある、, 處に、秀吉御陣より攻被上と玉ふと見へ申候とひとしく、七本鑓の衆は、, るにや色外にあらはれ、其便もいたつらに炎り、乃ちは洛下に心ならす有, 之弓五十騎付侍りしなり、然るによれ、よき射手をあまためし〓れ射けさ, 便をまう家侍りしか共、又左衞門尉義理を違へし者なりと思はれぬ、かゝ, 府中邊まて討付たれは、漸日くれぬ、其夜は府中脇本邊立錐之地もなく陣, たても互に見えたり、され共柴田方はすゝみてお海し可掛共不見候之, り、中村與左衞門尉は匠作同郷に生長し、弓馬之二道を嗜し者なれは、馬上, 秀吉すお万をあらさす追誅にせよと下知し給へは、素より望所也、其日に, しかとも、地下人けへあれは如此之者よとて、諸人の舌頭にかゝり果しな, 徳庵、志摩守三人之法師武者と戯しか共、徳庵は利家之人質をぬすみ出、其, 評曰、だ乃比まては、人心義あつて歴々之切腹其名いと香しく有し也、此, 取にけれ、, 〔川角太閤記〕〓ノ一夜も明けれは、敵味方の陣色めき渡り、合戰の人數, 一夜も明けれは、敵味方の陣色めた渡り、合戰の人數, 天正十一年四月二十一日, 利家ノ質, ハ人心義, ヲ盜ミテ, 中村與左, 秀吉ノ兵, 衞門尉, 兵攻撃ノ, ニ陣ス, 府中脇本, 柴田氏ノ, 色ナシ, コノ頃迄, 去ル, アリキ, 太田徳庵, 一五一

頭注

  • 利家ノ質
  • ハ人心義
  • ヲ盜ミテ
  • 中村與左
  • 秀吉ノ兵
  • 衞門尉
  • 兵攻撃ノ
  • ニ陣ス
  • 府中脇本
  • 柴田氏ノ
  • 色ナシ
  • コノ頃迄
  • 去ル
  • アリキ
  • 太田徳庵

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  • 一五一

注記 (33)

  • 1244,635,55,1066つゝ、其功をあらはし切腹してけり、
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