『大日本史料』 11編 4 天正11年4月 p.249

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目の合戰決せんとの御心得にて有へしと、さゝやき見る所に、案に相違, 手の勢は少しも不休、北へさして押よせらる、賤かたけ河置山兩城に籠, に北國勢追崩されて、味方人數追詰て寄と見へし程に、〓社味方の勝け, しもなく有しか、午刻過に兩方打合て御合戰と申候、初より北の敗軍こ, 東野山の城に手當与して、人數二備立おかれこつるか、廿一日の朝、堀左, りたる人數も、城を出て先手に追つゝき、河原山の上ゟ下へ押おろし、麓, の少し高き平地に先御人數を御立有て、暫御休息と見へ申候、東表には, 間殿人數はなく成与見へつるに、追手の勢は彌きそひ、勝時を作り懸候, を分て兩方へ散々に成て討るゝもあり、行衞も知らす逃延るもあり、追, 成て、其後敵味方共こ入亂れて、平地にあき所なく見へ申候、樣々辰刻終, して、跡ニ立置れし人數佐久間殿をも不待請、さつと引退て行程に、佐久, 与心に懸て、二手を一手になして引ならは、難なく引取て、かさふて又分, へは、佐久間殿の人數只今の軍にはしつかまぬ、終に追崩さまて、山の峯, 衞門督殿人數を御城より押出して、東野山に御立有て、暫雙方共に手出, ハキ申時、佐久間殿は先河置山の城へ押への人數を立置ましに、其所迄, 天正十一年四月二十一日, 兵盛政ヲ, 置山ニ備, へ置キシ, 待タズシ, テ退ク, 盛政ノ兵, 秀政戰鬪, 敗ル, 盛政ガ河, ヲ始ム, 天正十一年四月二十一日, 二四九

頭注

  • 兵盛政ヲ
  • 置山ニ備
  • へ置キシ
  • 待タズシ
  • テ退ク
  • 盛政ノ兵
  • 秀政戰鬪
  • 敗ル
  • 盛政ガ河
  • ヲ始ム

  • 天正十一年四月二十一日

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  • 二四九

注記 (28)

  • 1684,684,67,2138目の合戰決せんとの御心得にて有へしと、さゝやき見る所に、案に相違
  • 1096,688,68,2140手の勢は少しも不休、北へさして押よせらる、賤かたけ河置山兩城に籠
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  • 514,690,66,2134しもなく有しか、午刻過に兩方打合て御合戰と申候、初より北の敗軍こ
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