『大日本史料』 11編 4 天正11年4月 p.563

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正十一年癸未五月廿四日の〓なり, 弟源七郎兩人にく討留たり、心休甥羽黒といふ所に在住して、, 退兼たる躰を見て、玄蕃か嫡子孫八馬ゟ飛下り、彼根古屋を我馬に抱のせ、, ゟおくれて引退く人數、前路にささへられ、敵はきそひ來て後にあり、漸死, 毛村ハ、中里ノ盆子筑後守重綱入道睡虎カ領分田野、山本ト相隣テ、常ニ境, といへとも叶はす、猿子勢利に乘て、笠間勢の山にかゝつて引退を追討す, 孫八歩にて平澤といふ所へかゝつて退く、此道左右深泥にして道狹く、跡, 常陸ノ國茨城ノ郡笠間ノ城主長門守幹綱入道心休、子息孫三郎朝經, 十六歳、笠間外郭の兵を召連討出しか、敗して退く、馬に離れ溝中に立留り、, の岸下へ切倒されし、茨茂りて、見へす歸れり、此日、笠間方大に敗ス、時に天, 名ノ下虚カラス、三千餘貫ヲ領知シ、宇都宮ノ家臣タリ、然ルニ笠間領ノ門, を遁れて馳歸る、大塚といふ者父子四人は討死ス、同姓大學と云者も、櫻川, る事際限なし、谷中玄蕃允をシセウ塚といふ所にく、猿子兵因幡といふ者、, ハ、元是坂東八平氏ノ同根、笠間押領使常宗ノ末ニテ、古代ヨリノ, 〔關八州古戰録〕十二笠間心休、盆子睡虎執合事, 語、經ヲ恆, ○常陽四戰記、續武, 家閑談大抵同ジ、, 屋殿ト云, 土俗ハ根古, ニ作ル、, ○那, 須物, 天正十一年五月二十四日, 五六三

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  • 語、經ヲ恆
  • ○常陽四戰記、續武
  • 家閑談大抵同ジ、
  • 屋殿ト云
  • 土俗ハ根古
  • ニ作ル、
  • ○那
  • 須物

  • 天正十一年五月二十四日

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  • 五六三

注記 (25)

  • 833,621,59,1058正十一年癸未五月廿四日の〓なり
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