『大日本史料』 11編 4 天正11年4月 p.612

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られしとぞ、, ざりしとて、芝原に下居て辨當などをつかひ、しばらく物語ありしが、阿波, 鎗の事を語るに至て、加藤清正が銀の馬藺串の差物にて、眞先に進み候に, 付、左馬介我等も指續き鎗を合候ひぬと有時、左馬介阿州へ向て、市正咄は, 介、我等はものわすれ仕故、咄前後いたし候、市正語り給へと辭退有ければ、, て、駿府へ下り、大坂へ歸りけるに、荒井の西にてかの兩人に行逢、久く相見, 介則掛硯を取寄、文祿二年七月十五日、高麗にて番船を乘取たる節の御感, 市正則志津嶽合戰の樣子を物語して、其一事々々にて、左馬介斯樣に候ひ, 守兩人に向て、志津が嶽の儀を承り置て、後學に仕度と申されければ、左馬, 眼前にて一番鎗を合せ、其軍功顯焉たりと有、左馬介、市正に向て、是を見ら, 僞にて候と申さる、市正僞とは何故ぞと怒て、既に口論に及びけるが、左馬, 書を取出さる、其文言に云、其方事、先年於江北柳ケ瀬表柴田合戰の刻、秀吉, れよ、某一番鎗にて候ひしと申さるゝに依て、阿波も信服し、市正も閉口せ, しとことわられける故に、左馬介いかにも其通也と詞を合せらる、扨七本, 是ヨリ先、織田信忠、善光寺ヲ甲斐ヨリ美濃ニ遷ス、茲ニ至リテ、徳川家, 明且元ニ, ノ戰話ヲ, 戰話ヲ嘉, 鎭賤嶽ノ, 求ムトノ, 嘉明且元, 蜂須賀至, 否定スト, ノ説, 説, 天正十一年六月五日, 六一二

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  • 明且元ニ
  • ノ戰話ヲ
  • 戰話ヲ嘉
  • 鎭賤嶽ノ
  • 求ムトノ
  • 嘉明且元
  • 蜂須賀至
  • 否定スト
  • ノ説

  • 天正十一年六月五日

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  • 六一二

注記 (27)

  • 312,613,53,355られしとぞ、
  • 1706,617,64,2210ざりしとて、芝原に下居て辨當などをつかひ、しばらく物語ありしが、阿波
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