『大日本史料』 11編 6 天正12年3月 p.45

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引上御待候へ、三河勢競ひ懸り參ん時、待請て打候はんには、十には八九は, てかゝり來る、爰に武藏守か内行田内藏助と云兵、備の前に進出て指揮す, 來り仕ふ竹内次郎兵衞にてそ有ける、尾藤か軍兵共敗潰のよし、舟戸、須加, は、森も尾藤も足をために〓立られ、やう〳〵羽黒の村邊にて立怺しか、酒, 帶刀、須加平四郎兩人を物見に出されしに、羽黒村のせり合に行かゝり、早, 働す、神君御覽し、御馬出され、小川を隔て矢軍あり、酒井左衞門尉さ〓を振, 葉伊豫守、同右京亮、遠藤左馬亮等と犬山の段の下へ打おろし扣ける、舟戸, るを、奧平九八郎下知して鳥銃にてうち落す、奧平か勢松先にかゝり來れ, 速此よし注進せんとて乘〓る、須加村中ニて敵壹人討取、首切て歸る、舟戸, 井か勢後へ廻るを見て、羽黒にもたまり兼、犬山さして敗走す、護國公は稻, 立歸申けれは、護國公懸り討取んと勇み給ふ、片桐半左衞門諫けるは、徳川, 殿の軍勢に今御かゝりあらは、必定おくれを取給ふへし、此備を上ノ段へ, も一人の敵を追懸討とらんとせしに、終に逃延ける、此かたお後池田家に, 同き十七日、護國公は聟森武藏守、尾藤甚右衞門を相伴ひ、羽黒の近邑を燒, 〔池田家履歴略記〕二護國公戰死、國清公嗣封, 〔池田家履歴略記〕, 行田内藏, 歸ル, 助, テ清洲ニ, 天正十二年三月十七日, 四五

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  • 行田内藏
  • 歸ル
  • テ清洲ニ

  • 天正十二年三月十七日

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  • 四五

注記 (22)

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