『大日本史料』 11編 6 天正12年3月 p.150

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及ばれ、御憐愍の御詞をくはへさせたまふ、, 足助にいたり、大權現につかへたてまつるだきむ手上聞に達するところ, ら大權現につかへたてまつるべきの旨を約諾し、濃州にかへりぬ、このと, し奉る、勝頼滅亡のゝち、河尻與兵衞尉そのほか美濃組の數輩ならびに利, りて、甲州在番の輩各本國にかへる、利景父子も又駿州にをもむかんと、す, でに江尻にきたるところに、本多作左衞門尉にゆきあひ、自今已後もつは, 景、一行等、甲州の城をまもお、同年六月、明智日向守光秀、信長を〓するによ, 濃組の諸士は、秀吉の命にしたがひて長一に屬し、各人質をいだす、利景や, に、すなはち御許容あり、長一この事を聞、はなはだ怒て、人質一行が娘を生, む〓を得すして、一行が娘をもつて質とし、金山の城につかひ、數月ををく, お、翌年の秋にをよびて、ひまをうかゞひ、ひそかに本領明知をたち出、參州, 同十二年、長久手合戰のとき、森長一が家人石黒藤藏、關左門等に濃州明知, 害し、尸を利景が故郷のうち野原村の河邊にさらす、大權現この事を聞食, き森武藏守長一、豐臣秀吉に屬し、濃州金山の城をつもる、かるがゆへに美, の城をまもらしむ、此こた利景、大權現の仰をかうぶり、すみやかにはせむ, 甲斐ヲ守, 河尻秀隆, 等ト共ニ, ノ人質ヲ, 美濃ノ諸, 長可利景, 士森長可, ニ屬ス, 殺ス, 天正十二年三月二十三日, 一五〇

頭注

  • 甲斐ヲ守
  • 河尻秀隆
  • 等ト共ニ
  • ノ人質ヲ
  • 美濃ノ諸
  • 長可利景
  • 士森長可
  • ニ屬ス
  • 殺ス

  • 天正十二年三月二十三日

ノンブル

  • 一五〇

注記 (26)

  • 355,642,58,1284及ばれ、御憐愍の御詞をくはへさせたまふ、
  • 705,641,60,2200足助にいたり、大權現につかへたてまつるだきむ手上聞に達するところ
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