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唯押通り有馬を攻よと下知しければ、太田は嶋津勢にかまはず原の城へ, すべきやと申ければ、隆信聞て、嶋津加勢する共、博々しき事はよもあらじ、, 二千餘人、温泉が嶽の麓海邊を押通り、胴崎に至て南をみれは、山の上に十, るづ、彼が暴逆の政を疎んじて、薩州嶋津義久の禮義有事を聞傳へ、内々心, 文字の旗を押立たり、扨は嶋津より援兵有と思ひ、隆信の旗本へ使番を馳, 又鍋嶋加賀守は七千餘人にて、搦手の將として、千々輪村へぞ向ひける、有, 勢を遣すべしとて、嶋津中務少輔、新納武藏守、伊集院左衞門大夫を將とし, 戌亥の刻、高來郡洲川浦へ著船す、翌廿四日の曙に、隆信乃先手太田兵衞尉, 馬は兼て期せし事なれば、籠城の用意をし、薩州へ脚力を立て援兵をぞ乞, て、赤星阿波守を案内者として、五千餘人八代の浦より出船し、三月廿三日, をよせたりける、隆信此事を風に聞て、有馬を退治せんとて、天正十二年三, ける、嶋津義久は肥前國を治むべきため、八代まで出されけるが、有馬へ加, 月上旬、二萬餘人を卒して高來へ發向す、先陣は太田兵衞尉、龍造寺隆平也、, て、人數の多少は見へず、嶋津勢十町計南の山に備へたり、先嶋津勢と合戰, 少なからで、肥前國高來郡有馬の城主有馬左衞門佐は、龍造寺の摩下成け, 向フトノ, 千々岩ニ, 十文字ノ, 鍋島信生, 旗, 説, 天正十二年三月二十四日, 二八三
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- 向フトノ
- 千々岩ニ
- 十文字ノ
- 鍋島信生
- 旗
- 説
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- 天正十二年三月二十四日
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- 二八三
注記 (23)
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