『大日本史料』 11編 17 天正13年7月 p.309

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えけれは、此程の支度相違せり、, 爰に東條紀伊守は、秀長に隨て木津の寄手の人數なりしか、關ノ兵衞は甥なれは、味方, へ回忠をせさせて一命を扶、恩賞に預らせはやと思ひ、城中へ人を入て潛に申させける, は、當時天下に對して敵せんは、偏に石を抱て淵に入者也、抑御邊ハ長宗我部普代の家, 左右なく渡すへきやうなしとみる所に、大勢に節所なく惣軍一度に打入、眞一文字に渡, 岸に打上り、同時に時を作て押寄れは、關ノ兵衞叶はす城中に引て入、固く守て出合す、, しけり、木津の城主東條關ノ兵衞、川端に出向て防きけれ共、寄手は是を事共せす、向の, 郎・伊藤掃部・小寺官兵衞・中村孫平次・一柳市介・赤松次郎・蜂須賀・黒田・明石, 寄手は合戰すへき氣色もなく、其日矢嶋へ引取けり、され共、曰を替て又もや寄んすら, んと城中にも羽久地にも相圖を極て待所に、上方勢爰をは閣、阿州木津の城へ向よし聞, 筒井・尾藤・戸田此人々を始、木津の城へ押寄る、其間僅に三十餘町を隔たれ共、入海有て, 去程に、羽柴美濃守秀長は、淡路の福良より船を出し、阿波の土佐泊に著岸有、羽柴八, 木津城軍之事, 委長阿波ノ, 木津ノ城主, 齟齬ス, 宇喜多勢ハ, 土佐泊ニ著, ハ東條關兵, 寄ス, 元親ノ計略, 木津城ニ押, 東條紀伊守, 降ス, 上方勢屋嶋, へ引擧グ, 關兵衞ヲ誘, 衞, ス, 天正十三年七月十九日, 三〇九

頭注

  • 委長阿波ノ
  • 木津ノ城主
  • 齟齬ス
  • 宇喜多勢ハ
  • 土佐泊ニ著
  • ハ東條關兵
  • 寄ス
  • 元親ノ計略
  • 木津城ニ押
  • 東條紀伊守
  • 降ス
  • 上方勢屋嶋
  • へ引擧グ
  • 關兵衞ヲ誘

  • 天正十三年七月十九日

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  • 三〇九

注記 (31)

  • 1639,675,55,819えけれは、此程の支度相違せり、
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