『大日本史料』 11編 6 天正12年3月 p.605

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人共に御執立可被成との仰なわ、, うち入〳〵つきはらひけれは、其勢におそ従をなし、互に相引にして、一, とかゝれは、一揆等東西に散逃しける、しかれとも南の尾さき〳〵を取, としたひ、こゝ乃嶺よりも貝をならし、かしこの谷よわも曳々聲をあく, 揆共したふ心もなく退散す、秀吉公羽黒の古城御普請被仰付、堀尾茂助, ル、合戰早ク終テ、信雄、家康公共ニ小幡ノ郷へ入勢、兩軍靜々ト退クヲ見テ、, うちかけしたひけ従は、堀尾か手のものは不及申、自身も加藤も手鑓を, 爭戰、卯月九日、秀吉公樂田ニ在リ、貝ヲ吹テ、諸勢ニ急ニ可打立ト觸ヲナシ、, 一貝ニ先勢押出ス、清正モ一番備ニ在テ、鐵炮與力輕卒ヲ進メ、龍泉坂ヲ下, 清正ト星野武右衞門三百挺ノ鐵炮ヲ放サセ、侍五人、足輕十三人ヲ討取ル, に備をなし退出さんと談合し、しつかにのきし處を、一揆共〓に鐵炮を, を入置たまふ、其刻茂助、主計被召出、昨日のしつはらひよくも仕たわ、兩, る事おひたゝし、茂助、主計に被申きるは、かやうの時節、本道をまんまる, て、鐵炮を互ニはなし合、鑓を入よと下知す、下知の下より、兩人共につゐ, 〔清正行状〕奇天正十二年三月、秀吉公、織田信雄ト手切レ、尾犬山ニテ及, 可晴羽黒, ノ砦ヲ守, 大正十二年四月九日, 六〇五

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  • 可晴羽黒
  • ノ砦ヲ守

  • 大正十二年四月九日

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  • 六〇五

注記 (19)

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