『大日本史料』 11編 6 天正12年3月 p.817

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らふはなし、打あ出討死致し、城をは燒〓し、左候はゝ煙小幡へ見ゆ〓し、, 居、服部平六歸り、御小姓につき、潜に三好秀次、勝入、等今夜ケ樣〳〵と言, にと先を爭ひ、埓明不申候ニ付、水野惣兵衞云、夜が明ては不成候間、皆, 岡部五郎兵衞其外は小幡を大事ニ守こと申付候と也、扨こゝに③我先, 上ニ付、神君、言付置候もの早く參り、何従にな成とも喰留よと上意故、我, 河岸の方へまかる所、岩崎の城丹羽次郎助守り居る、是へ勝入來ふせむ, 同に可行といふに付、一同に長久手村の方へゆく、たん〳〵夜明に成、, とにふ内、四千の人數來る故、悦③申談し、本多も可行といふ、新見勘三郎、, は本多豐後守其外居な、時に爰にも漸聞付、御注進可申也、喰留可申也, か、次郎助之といかゝといふ内、いよ〳〵攻なと聞、城中二百四五十騎な, 一勝入、森武藏五千、堀久太郎五千、三好壹萬餘、段々來る、須田町邊へ參〓、東, 先に乘出す、小幡の方へ行、長久手あたりニ而軒〓らには可有と行、小幡, の方控山高根山といふ、小柳町筋の積にあり、先にウキウ原、白銀町、鎌倉, なる義可有、夫といはゝ早速出陣す〓し、支度し〓居候樣上意也、小平太、, 四千餘の人數、夫と云は出よとの上意は、何事かと存なあら待, 大正十二年四月九日, 小幡ヲ守, 本多廣孝, 入一七

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  • 小幡ヲ守
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  • 入一七

注記 (19)

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