『大日本史料』 11編 6 天正12年3月 p.820

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返られたるは、, いふ所と申上る、夫は地名よしと被仰、御湯漬を被召上、御具足を被召、且, 急被成、神君勝川まと, ニ付、御勘氣なり、時に武者奉行内藤四郎左衞門へ、高木主水、傳右衞門か, 勘氣のわふひを頼被申、宜敷とふ不構取次をしふ、御叱を得あはし不構水, 殘念ニ思召被爲急、扨上意ニ、爰は何といふ所と御尋につき、勝川甲塚と, 上意なり、御急き被成時に、一番に水野藤十郎高名仕、途中にる御目見被, 孫七負る由相しに、其なゝ秀吉出る、早貝をぬかせ、二重堀の方騷、小牧に, 野藤十郎か討取候首を御覽に入、三好の人數を追崩し、首を取來な故追, 仰付、是より前一番高名は初鹿野傳右衞門なことも、御判物に墨を塗候, 所々へ人數を被出候故、御供右の通なり、扨立川寺川の方, は酒井、石川、本多平八、石川左衞門太夫居な、梶金平物見より歸り、三好人, 此間紙三枚はかり虫喰畢、, 御出被成、岩崎の境トいふを御覽被遊、, 一神君御用濟ふ、夜半頃信雄卿も御同道、三千計の人數に志御出馬被遊る、, 又人數の押聲をヱイトウヱイトゥと言は不宜、ヱイトウヱィと申候樣, 御, 小牧より一, 里三十丁餘, 〓は百問長, 屋の方よつり, 半ニ出馬, ト共ニ夜, 傳右衞門, ハ初鹿野, 一番高名, 家康信雄, 天正十二年四月九日, 八二〇

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  • 小牧より一
  • 里三十丁餘
  • 〓は百問長
  • 屋の方よつり

頭注

  • 半ニ出馬
  • ト共ニ夜
  • 傳右衞門
  • ハ初鹿野
  • 一番高名
  • 家康信雄

  • 天正十二年四月九日

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  • 八二〇

注記 (29)

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