『大日本史料』 11編 9 天正12年9月 p.79

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るにやと思ひ、内藏助は木船之城へ引入にけれ、, しく見えしに因て、扨は聞にけごさめれと、云もあへす乘入みれは、如案〓之外生類なし、三, 人之城守退散せしに、又寺嶋兄弟、久世三人入替り、城守と成しこそ自然なれ、利家はいまた, なに見せて、戰を仕懸よるへしと思ひしか共、互之名將故勢を打納にけり、, 門、佐々與左衞門、堀田次郎右衞門、櫻勘介、隨分覺の者ともを被向、都合八千餘騎にて押, 寄、町を放火可仕と存候處、城中より土井伊與守町屋を被損て口惜仕合候間、出て防戰す, 末森城に在しか、佐々加州へ亂入せし由を聞と等しく、はまへをつたひに、金澤の城へ丑之, に、佐々か物見之騎兵五六人走來たりしか、頓て駈歸てかくと告しにこそ、扨は上方勢著た, 其比之老人曰、前田は毎度得勝利、佐々は度々失利、まけ腹立しかは、勢をかくし、物すく, 鳥越之城におしよせ、鐵炮あしかるをかけしか共、靜り反て音もせす、城をもかさらす、さひ, 刻に立歸り、ヿ之刻に又打出、森本、栗崎邊に至り旗を立、物ふかう勢のふくらを隱し備し處, に、切所を前にあてゝ陣取、城せむる越中衆は、山下甚八、佐々平左衞門、前野小兵衞、野々, 村主水、菊地伊豆、同十六郎、寺嶋甚介、同牛之助、本庄與兵衞、野入平右衞門、齋藤半右衞, 一同年九月十一日に、末森の城へ佐々内藏介成政押寄責る、我身は二里脇ゟ坪井山と申所, 〔加越登記〕末森城後詰事, 市イ, 天正十二年九月十一日, 木船ニ退, 天正十二年九月十一日, 七九

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  • 木船ニ退

  • 天正十二年九月十一日

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  • 七九

注記 (20)

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