『大日本史料』 11編 9 天正12年9月 p.220

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ウナリトテ、ソノ比五畿内ニ沙汰アリシト也、, けるは、我等が退やうを若き衆見玉へとて、六十挺の鐵炮を二十挺ならべ、二十挺は三十, し、烏帽子形の三人衆、中村式部などゝ合戰の時、根來の小道者足輕六十人召連、先をい, 鯖ノ尾ヲ黒クヌリタルナリ、其マヽ其冑ヲ内ノ者ニキセ、本ノコミツチヤ居ノ處へ上ケタ, リ右ニ少ノ谷合アル所へ立ノキ、三町計ノキテ、又道ヘアカレリトソ、功者ナルイタシヤ, シ、此方ヨリマイツタ〳〵ト申ス、カヽルコミツチヤ立物ハ、五畿内紀ノ國ニカクレナキ, 下知して、貳段目迄引取、其所に自身計加わり殘り居、鐵炮は三段目の跡へ備へさせ、二段, たしけるが、退口に烏帽子形の衆喰付たり、敵味方の間三十間計有けるに、こみつちや申, 間計跡へしさりて立、又廿挺も三十間程しさらせて、以上三段に立、自身は眞先の廿挺を, しけれバ、敵したふ事ならず無異義ぞ引取ける、其比上方にて無類の退口と沙汰す、, 紀州より柴田勝家が甥佐久間久右衞門、, めを引取て、又四段めの跡へ足輕を遣し、自身は殘りて三段めを引とらせ、順々に如斯な, リ、扨ハ只今ノ鐵炮アタラサルト思イ、三平、次右衞門ヒカスルノ内ニ、コミツチヤヲレヨ, 續武家閑談〕六一同「十二年八月四日、河州錦部郡天野山と云寺の上、國見と云所へ、, 根來寺の衆徒、紀州邊の溢れ者共相催し出張, 緒書、異, 事ナシ、, 天正十二年九月十五日, 前守, 後備, ○紀州, 根來由, 本, 別, 砲ノ利用, 退却ト鐵, 溢レ者, 天正十二年九月十五日, 二二〇

割注

  • 前守
  • 後備
  • ○紀州
  • 根來由

頭注

  • 砲ノ利用
  • 退却ト鐵
  • 溢レ者

  • 天正十二年九月十五日

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  • 二二〇

注記 (29)

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