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今に此邊を御室山と稱す、一は三宅村圓明寺内にありて、土をもり、上に寶篋印塔の, 十一月二十九日と刻す、其前に櫻樹あり、親王生前に手つから栽給ひし林なりといふ、, 取出候、四國ゟも御人數先二万可被差渡と〓ニ申來ル、親泰渡海し、元親ハ阿州渡リ, 主の説には、御室山石塔の〓は所知なれと、三宅村に葬しは所傳なしといふ、彼是是, 形なる石あり、僧湛淵が撰たる碑文に、現に此地に葬ると記せり、しかるに、嚴島座, 申通んとて、渡邊和泉・江嶋太左衞門貳人ヲ飛脚ニ被遣、前々ゟの奏者伊井兵部少輔, 坊と云を堺へ被遣、鉄炮・兵粮等買調、はや親泰船拵火急也、然ニ此手立を家康公へ, 口迄指詰、一左右を被待筈に相極、福富甚兵衞を紀州へ被遣、右之調略をしむる、上之, 非定めがたし、思ふに尊骸は御室山に葬て、三宅村真言宗なれは、遺物なとを藏て經, 紀〓湊・雜賀從前々元親へ屬し故、此三河御陳の跡にて紀〓・泉州申合、大坂表へ可, 塔を築たるならん、然るを、後に真の葬地ともいひ傳るならむか、外に所考なし、, 是月、土佐長宗我部元親、徳川家康ト牒シ、和泉・紀伊ノ一揆ト共ニ羽, 柴秀吉ノ居城大坂ヲ攻メントス、秀吉ト家康トノ和成ルヲ以テ止ム、, 元親一代記〕, 一太閤樣三川御陳の跡にて大坂へ可取懸と催之事, 〓親一代記〕〓土佐一太閤樣三川御陳の跡にて大坂へ可取懸と催之事, 天正十二年十一月是月, ○土佐, 一太閤樣三川御陳の跡にて大坂へ可取懸と催之事, 兵衞ヲ紀伊, ニ遣ス, 元親福富甚, ルトノ説, 渡邊和泉江, 三宅村圓明, 寺ニ葬リ奉, 嶋太左衞門, 天正十二年十一月是月, 二五九
割注
- ○土佐
- 一太閤樣三川御陳の跡にて大坂へ可取懸と催之事
頭注
- 兵衞ヲ紀伊
- ニ遣ス
- 元親福富甚
- ルトノ説
- 渡邊和泉江
- 三宅村圓明
- 寺ニ葬リ奉
- 嶋太左衞門
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- 天正十二年十一月是月
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- 二五九
注記 (29)
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