『大日本史料』 11編 13 天正13年正月 p.19

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の取合數年雖及、度〳〵大將を捕子にする迄の事なかりし所に、今度宗綱を不思議に打, 老母樣御意之趣飛札にて委細上方天徳寺へ申越候事也、, 馬の事は、是非に不叶、越中申義も一理有之、乍去心體難計本城御留守居は不被仰付、, 御城守は常々急成時の爲に被仰置間、常の衆は尤こて候、跡に居殘り候節にも、本意成, 衆も雖有、大拔方なれは無是非心替りは必定と覺たりとて、富士源太・竹澤山城・山城, 同正月二日に足利於本城家來中へ悦之御盃を被下、長尾殿家來中へ被仰るは、佐野足利, 長尾殿宗綱公を打大悦の夏, 家老衆と不和にして宗綱公御打死之後、無程一戰にも不及切腹せし事也、, 外數百騎大拔越中居城へ押よせけれは、越中佐野四天王の内一騎當干の者なれ共背道、, 何とも御意不被成、無二無三に御出馬の處へ、越中跡に居殘り候事、非本意、御留守居, 才吉・津布久彈正・細野次郎左衞門を初として以上不及記三十餘人の侍大將として、此, 一今度大拔越中守、元旦之御出馬御供無之事、尤御諫言之砌御立腹被遊、御用ひなく御出, 大將無之ては士卒も心掛輕者にて御座候、早々天徳寺を請待可申とて、宗綱公打死、御, 大拔越中守切腹之支, ノ士武重ノ, 宗綱ノ家中, 居城ヲ襲フ, 武重切腹ス, 天正十三年正月一日, 一九

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  • ノ士武重ノ
  • 宗綱ノ家中
  • 居城ヲ襲フ
  • 武重切腹ス

  • 天正十三年正月一日

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  • 一九

注記 (20)

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