『大日本史料』 11編 14 天正13年3月 p.321

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依て、感状同意之手形給り、西片原へ引籠ル、, 〔紀伊續風土記〕, り、與治郎林か首ヲ敵に渡さしと首打落、東の谷え投捨深ク隱シ、泊城え馳歸る、, に造りて隱居す、天正十二年、宮崎隱岐守定之羽柴美濃守秀長に攻られて此地を逃れ、, 敷者ナレは、一騎成共命を全ふして主君の御用ニ立候へ、今は是迄と腹かき切て死た, 嘉應元年、宮崎筑前守定範城を此地に築く、其子孫隱岐守定頼剃髮して、菴を城南の地, ケ所疵ヲ蒙り今はかふよと見えしかは、與治郎林ヲ打せしとかたに引かけ峠に登り、, 一、直春鹽見峠に出張時も、敵色めく所を與治郎ヲ始として究竟之侍八騎、一度にとつと, 追下シ、散々に射落たり、何も強弓の手利ナレは、敵麓ニたまりかね、田邊え引退、, 其後秀吉公より御曖ニテ和睦に成、直春田邊の三ケ莊え籠居せらる、依之家中之侍共, 何も暇給、住所々々え引込る、與治郎儀は鹽見峠又は南部峠之働、其外心懸之忠節ア, いさ主君之御供とすゝむれとも、六郎深手ナレは我ニテ自害すへし、御身はかい〳〵, んと切結ひ、六郎か手に懸ケ敵貳人、與次郎か手に掛ケ敵壹人打取たり、去程に林數, 先手之者共に手並ヲ見せ心能討死すへしとて、二人打連打物之さやをはつし、爰をせ, 淨土眞宗東本願寺末, 佛願寺, 前當山, 善徳院, 宮崎莊野村, 五十七在田郡, 宮崎定之, 天正十三年三月二十五日, 三二一

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  • 前當山
  • 善徳院
  • 宮崎莊野村
  • 五十七在田郡

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  • 宮崎定之

  • 天正十三年三月二十五日

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  • 三二一

注記 (23)

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