『大日本史料』 11編 16 天正13年5月 p.337

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〔歴代參考〕, す、みつからにおゐては少も恨侍らすと、佛神をかけて誓けれは、其儀ならはとて、, へけるは、重代の主君を背くの不義人間の所爲にあらす、かゝるものを親とも存せ, かれは甲斐宗運か嫡子相摸守親秀入道宗立か舅なり、然るに豐後いかなる事にや大宮, 州にて餓死ニ及申候、末子一人薩州に居申候か、譜代の侍ニ小さき但州と申者、當郡, 司を恨み、日向の伊東入道か籏本になり、阿蘇を討んことをはかる、大宮司是を聞、, 宗運に命して是を討しむ、宗運娘女に向て、汝か父豐後守は當家を背き日向の伊東に, くみする故、阿曾殿より討へきとの儀なり、一味すへきや否と云けれは、宗立か妻答, 又探玄記ニ有之宗運子孫之事、, に居住仕候を尋候而、薩州より大畑越を致し、下原へ參候を、菱刈後の美濃重信いま, 宗運子孫悉沒落して薩摩え〓籠、子共何茂宗運に違ひ、武篇は不及申萬事不足故、薩, 爰に阿蘇大宮司惟豐か家臣肥後日向境の押元矢部岩尾城主黒仁田豐後守と云者あり、, た新四郎と申時、柳江院の門前阿彌陀堂に追詰、則討果申候、, そ聞へける、, 一、甲斐宗運討黒仁田豐後守事, 四, 義陽, 宗運ノ諸子, 絶ユトノ説, 天正十三年七月三日, 三三七

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  • 三三七

注記 (21)

  • 1201,697,74,336〔歴代參考〕
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