『大日本史料』 11編 17 天正13年7月 p.223

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平か先祖、, 一堆方二十尺はかりに築あけ石佛を安置したる處あり、是は天正の戰に小早川隆景爰に, 沒よりいまた年數を不經うちに鑿出せる歟、中心に銘の痕見ゆ、, 右備後守の塚より十四五間東に、石積あけ櫻木生ひ、首塚とも亦千人塚とも呼習はし、, 搆たるもの歟、この處の塚は周方九尺はかり、近世金子氏の末孫等小祠を建てこれを祀, 兵器の出る事珍しからす、折戟沈沙鐵半消とは聞ケ共、此刀を見るに形體消滅せるもの, にあらす、精練の良器土これを朽しむる事不能、水これを腐しむる事を不得歟、又は埋, て首を實檢し、それを埋たる塚也と云、此野々市の在所に久しく住て今組頭を勤居る爲, を曠原に暴し骨を此荒墳に止たるなるへし、然して金子村の墓碑は居城の下へ後世設け, 此邊より短刀一口を鑿出す、今猶傳て爲平か家にあり、古戰場より, る、, 本堂, 釣鐘堂, 庫裨, 〔西條誌〕, 慈眼寺, 鎭守金子社, 觀世音, 正法山、禪宗曹洞派、奧州岩城郡胡〓, 澤淵寶山長源寺末、檀家凡五百軒、, 九間半, 年代名稱詳, 七間, 四方, 一丈, 五間, ならす、, 金子村, 七間半, 十四, 本尊, 首塚, 千人塚, 慈眼寺, 天正十三年七月十七日, 二二三

割注

  • 正法山、禪宗曹洞派、奧州岩城郡胡〓
  • 澤淵寶山長源寺末、檀家凡五百軒、
  • 九間半
  • 年代名稱詳
  • 七間
  • 四方
  • 一丈
  • 五間
  • ならす、
  • 金子村
  • 七間半
  • 十四
  • 本尊

頭注

  • 首塚
  • 千人塚
  • 慈眼寺

  • 天正十三年七月十七日

ノンブル

  • 二二三

注記 (36)

  • 1149,671,55,247平か先祖、
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