『大日本史料』 11編 17 天正13年7月 p.228

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農事を勤め、當村を墾開し代々庄屋役を勤む、, 〔西條誌〕, 五郎都合六百餘騎也、と云文見へ、秦氏代々遺言筆記集と云ものにも、天正十三乙酉七月, 所持の品古鞍・鎗、鞍ハ民部ゟ傳はれりと云、, 亂に西泉村にて討死すと云、其舍弟但馬といへるを定藏か家にて小祠を建これを祭る、, 當處大に亂れ、高峠始數ヶ所一同落城、高祖秦備前守の居城早川も落、と云事見へたり、, の時其家室孩兒を抱き家來と合て九人他國に流浪し、亂靜りて後爰に歸り、武門を變て, 官讚森孫右衞門に請ひて此處を墾開す、, 先祖は早川の城主にて秦備前守と稱せしと云、早川今何れの地と云事をしらす、然とも, 河野軍記に、早川に秦備前守・工藤兵部・難波江内藏助・白石若狹守・丹民部・久門甚, 龜王丸と云しもの、家來五七輩と讚州に逃る、慶長年中當所迄歸り、藤堂和泉守殿の代, 是等を并せ考るに、此近郷の地名とは覺ふ、かの遺言筆記と云ものに據て考るに、落城, 小松領大郷の里の上に劍山と云古城跡あり、城主黒川氏天正十三年に亡ふ、其室と其子, 庄屋弁作, 〔西條誌〕, 龜王丸後に四郎兵衞と改、それよ, 前庄屋村平, ○下, 楢木村, 下略, 坂元村, ○上, 正保二年の願書, 略, に其事見ゆ, 九, 九, 備前守, 劍山城主黒, 早川城主秦, 言筆記集, 川氏, 秦氏代々遺, 天正十三年七月十七日, 二二八

割注

  • ○下
  • 楢木村
  • 下略
  • 坂元村
  • ○上
  • 正保二年の願書
  • に其事見ゆ

頭注

  • 備前守
  • 劍山城主黒
  • 早川城主秦
  • 言筆記集
  • 川氏
  • 秦氏代々遺

  • 天正十三年七月十七日

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  • 二二八

注記 (35)

  • 724,676,58,1179農事を勤め、當村を墾開し代々庄屋役を勤む、
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