『大日本史料』 11編 18 天正13年8月 p.215

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人乘つゝく、案の如く色能鎧を著したる敵壹人、惣勢より跡たつて城へ引處へ、勝光名, 計城ゟ翔出、勝光多勢に少勢難叶思る、馬ニ打乘引退ク、馬ふかんにして遲キ故、郎等, 金子將鑑書繼之、, 名の驗とて氏勝公え掛御目、尤御感不斜候、惣軍を引廻す者の仕業には不似合、いらさ, かく、追來敵も味方のつゝくを見て、深追せすして堀中え引取、勝光首を持參し、私高, 極す、無念ニ候也、乍慰能敵を見立高名に仕らんと申捨、城を心掛乘出す、勝光郎等二, 鑓のうち柄ノひしける程、馬のさんとを摘、味方も是ヲ見て、勝光討すなとておめいて, 乘かけ引組、かひ田の中へ押臥セ首ヲ捕、敵矢倉ゟ是を見て、もらすな討捕とて、十騎, 之高名無之、故に氏勝公に向て申上は、私御人數翔引之下知に無障して、させる高名を, 驗ス也、旗・馬驗・差物・幕之紋右同斷、勝光實母北條玄蕃娘也、北條常陸氏繋姪也、, 人數を繰出責戰といへとも、不叶して敗北ス、其時勝光は惣軍ノ下知に無暇して、自分, 廿八日、歳六拾貳而死、號法名道知、右日向度々手柄有之、感状有之、家傳記ニ具ニ二, 〓天正十三乙酉年八月廿日、氏勝公下野國大平山の城御責ノ刻、城主も二里計すなたく, 妻ハ木村遠江娘也、, 日向守勝光, 〔堀内家傳記〕期相日向守勝光, 幕之紋右同斷, 旗・馬驗・差物, ○上, 略, 天正十三年八月二十日, 二一五

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  • 幕之紋右同斷
  • 旗・馬驗・差物
  • ○上

  • 天正十三年八月二十日

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  • 二一五

注記 (22)

  • 866,696,64,2243人乘つゝく、案の如く色能鎧を著したる敵壹人、惣勢より跡たつて城へ引處へ、勝光名
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