『大日本史料』 11編 19 天正13年閏8月 p.36

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二刀切たる由云傳也、後は眞田家へ家臣たり、神川陣の時働あり、, 一、成澤長左衞門、神川陣の時敵ニ捕へられ、案内者と成て行ける所之、敵をふけ田の内, ノ諸士楯籠、同所森下城ニハ恩田越前守大將トシテ守之、此由家康公エ聞エシカハ、急, 、瀬下若狹事、元來信玄に仕へて、川中島合戰の時、陣之瀬を景虎渡し給ふ所を、後ゟ, へ行當る様に案内をしてふけ田へ乘おとさせ、跡に殘りける一騎の武者を〓落し首を, 一、荒井肥後、神川陣之覺、, 度誅罸可有トテ、天正十三乙酉年七月下旬、甲州若御子迄家康公御出陣、其ヨリ信州ト, 斯テ房州公、沼田之義ニ付上田城ニ楯籠ル、沼田ニハ矢澤薩摩守綱頼城代トシテ、其外, 一、高槻備中、右同時働有、, 〔眞武内傳追加〕昌幸公籠城ノ節願行寺・廣田カ事、附合戰備押之圖, 取、東上田の邊に信之公順見してまし〳〵し所え、一當公ニ見せて褒美せられしとなり、, 田表エ御人數差向ラル、其勢二萬騎、去程ニ房州公モ頗ル莫勇ノ從臣ヲ集、謀討ノ方便, 一、柳澤長右衞門神川陣、諏訪殿衆と鎗を合る、, 一、來福寺武田家軍配者也、後眞田へ來る、神川陣の時譽有之、, (頼忠), 成澤長左衞, 高槻備中, 來福寺, 荒井肥後, 柳澤長右衞, 門, 門, 瀬下若狹, 天正十三年閏八月二日, 三六

割注

  • (頼忠)

頭注

  • 成澤長左衞
  • 高槻備中
  • 來福寺
  • 荒井肥後
  • 柳澤長右衞
  • 瀬下若狹

  • 天正十三年閏八月二日

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  • 三六

注記 (25)

  • 1661,787,58,1683二刀切たる由云傳也、後は眞田家へ家臣たり、神川陣の時働あり、
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