『大日本史料』 3編 1 応徳3年11月~寛治4年雑載 p.329

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任の二像なるへし、此寺の住持の云、氷餅を何ほと祕し置きても紛失すと, 氏識應聞書の追加なり、, を拾事有り、矢澤山は北の方にて、義家の陣屋の南の方に又山有て、石山と, 衡の二像といふ、又貞任、宗任の二像也といふ説もあり、予思ふに、是貞任、宗, 語れり、上件に記す貞任兄弟、氷餅を食し、ゆる〳〵として居る所へ、義家公, て武衡、家衡か陣所也といふ、其南北の中間十餘町有、此中の川を矢澤川と, 田川郡田川村といふ所に八幡の社有、土人云、此地は昔八幡太郎殿、武衡、家, に寄せつけられ敗軍せし因縁にて、氷餅失へると見へたり、右の趣は、上林, 衡と合戰の所也迚、此所を矢澤山といふ、今も山中大木の内に大キ矢の根, たり、, いふ、南の方石山麓に寺有、不二軒といふ、古き木像二ッ有、土人是を武衡、家, 〔出羽國風土略記〕ニ大寶寺城小寺氏云、大梵寺又は大寶寺共いふ、今, 羽源記抄〕轟口に白幡現する事并貞任合戰の事, にや、家衡の妾の塚とて彼邊にあり、然れはうちとけたる人も有しと見へ, 信正又云、或書に、源義家、武衡、家衡誅伐の時、此所, は鶴岡と號す平城也、, ○中, 略, 義家合戰, ノ遺跡, 傳義家ノ, ノ塚ト傳, 陣址, 家衡ノ妾, 傳武衡家, 衡ノ陣所, フ, 寛治元年十二月二十六日, 三二九

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  • ○中

頭注

  • 義家合戰
  • ノ遺跡
  • 傳義家ノ
  • ノ塚ト傳
  • 陣址
  • 家衡ノ妾
  • 傳武衡家
  • 衡ノ陣所

  • 寛治元年十二月二十六日

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  • 三二九

注記 (29)

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