『大日本史料』 10編 3 永禄12年7月~元亀元年正月 p.927

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扨又岡部次郎右衞門、弟岡部治, 御攻なさるへきよし上意を承り、老若共に武士を心にかくる者共少も, 兄弟罷有家乃上へ逍遙軒あかり給ひ、立なから城中を御覽する、次郎右, ちらす、信玄公御先衆馬場美濃、山縣三郎兵衞、内藤修理各それ〳〵に備, 田逍遙軒、信玄公御意をもつて、諸手を見廻り被成候か、岡部次郎右衞門, へて、三浦右衞門をからめ取、しかもしはりくひをきる也、以上、, 武篇おほえある侍大將ときこしめし及はれ候間、正月は早々花澤乃城, をかると申てかたほくなり、岡部次郎右衞門につくも有、殊花澤の城に, 郎右衞門、駿河先方の中にも、信玄公御取立被戌候へは、一入精を出し、花, の譽とて、敵味方共にいさむ事限なし、以上、, は是をきゝ、武田法性院信玄公に攻られて、死て炎魔の廳の訴、生て弓矢, 一永祿十三年庚午正月下旬に、駿州花澤の城へ信玄公取つめ給ふ、岡部次, すくり、信玄公へ御禮仕、信玄公則時に被仰出、花澤に籠りたる小原肥前、, 部右衞門をはしめ、駿河の御館に籠たる今川家おほえ乃者共五十六人, 澤こしくるわのちかくにある家のうへにあかり居申候處に、御舍弟武, ○上略、信玄、蒲原城ヲ陷ルヽコトニカ, ル、永祿十二年十二月六日ノ條ニ收ム、, 諸陣ヲ巡, 武田信綱, 視ス, 元龜元年正月四日, 九二七

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  • ○上略、信玄、蒲原城ヲ陷ルヽコトニカ
  • ル、永祿十二年十二月六日ノ條ニ收ム、

頭注

  • 諸陣ヲ巡
  • 武田信綱
  • 視ス

  • 元龜元年正月四日

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  • 九二七

注記 (22)

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