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へ御馬を移さる、, へ參るへしと仰出さる、成實は其夜糠澤まて打出らる、, 分け、一手は前田澤より高倉の西を過て寄來る、一手は荒井を經て青田の原人取橋に向, て來る、一手は其中間に留りて兩陣の下り備となる、高倉城中の衆敵の高倉を推過るを, 十六日、敵前田澤南の原に野陣を懸く、定て高倉へ働くへしと注進す、公岩角より本宮, 置き、本宮に置れたる瀬上中務等四人を遣さるへし、觀音堂山へ打上り、敵の樣躰を窺, 出張し給ふ、成實は士卒を率ひ高倉海道の中小山に據て備らる、然して敵は兵を三手に, 主政景等を始として、歴々を仰付らる、公仰に明日は敵必高倉か本宮へ働くへし、此邊, ひ高倉へ懸入へしと仰られ、公も御本陣を觀音堂山へ備らる、亘理兵庫殿元宗を始とし, 原田左馬助宗時、御前備には亘理兵庫殿元宗・同源五郎殿重宗・國分彦九郎殿政重・留, 十七日、公景綱を以て命せらるゝは、敵果して高倉へ働かは、高倉への援兵は本宮に籠, て、各備を青田の原に立つ、御人數都合四千許なり、敵の働を見合、高倉を救はんため, 見て、本宮の御人數寡し、此地にて敵を喰止へしと、城主畠山近江某等に相議して、伊, 藤肥前城を出、足輕をして鐵砲を放たしめ、騎兵歩卒若干を率ひて横に大軍を衝崩し、, 天正十三年十一月十七日, 一九〇
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- 天正十三年十一月十七日
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- 一九〇
注記 (16)
- 1354,624,53,402へ御馬を移さる、
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- 594,608,63,2252分け、一手は前田澤より高倉の西を過て寄來る、一手は荒井を經て青田の原人取橋に向
- 467,618,64,2231て來る、一手は其中間に留りて兩陣の下り備となる、高倉城中の衆敵の高倉を推過るを
- 1473,611,63,2245十六日、敵前田澤南の原に野陣を懸く、定て高倉へ働くへしと注進す、公岩角より本宮
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- 719,606,62,2241出張し給ふ、成實は士卒を率ひ高倉海道の中小山に據て備らる、然して敵は兵を三手に
- 1726,610,61,2242主政景等を始として、歴々を仰付らる、公仰に明日は敵必高倉か本宮へ働くへし、此邊
- 971,616,60,2234ひ高倉へ懸入へしと仰られ、公も御本陣を觀音堂山へ備らる、亘理兵庫殿元宗を始とし
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- 1223,610,60,2247十七日、公景綱を以て命せらるゝは、敵果して高倉へ働かは、高倉への援兵は本宮に籠
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- 1973,739,46,479天正十三年十一月十七日
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