『大日本史料』 12編 19 元和元年五月 p.516

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〓、石田其鑓奪て直に鑓付首を取、八田彌三右衞門, 前に六尺計の溝あり、衆みな溝を廻りたるに、船橋ひとり馬にて飛越先に, 手の者も此場ニて働く、中にも土橋四郎左衞門能馳廻り、首貳ツを得たり、, 甲首を得る、彌三右衞門か伯父久, 衞は天滿川の東にて一町計先に落行敵あり、堀うしろより聲かくれは、彼, 次郎も此處ニていくさす、船橋七郎右衞門は上本町の邊にて敵を追拂ふ, 此跡に伊木長門か人數詰寄て、城中の落人を追詰〳〵打てたる、土倉信濃, へなき死をそ遂たり、されとも此敵落武者なれは、首をはとらて落去たる、, 進み、遂に敵を討取す、其兩刀を印に添てそ歸りたる、伊丹半右衞門も船場, 敵引返し、鑓を合す、〓かゝしたりたん、太郎兵衞只一鎗に咽を〓通され、あ, 石田與左衞門き敵と鎗を合せ誤て鎗を〓す、敵與左衞門か草摺はつれを, の川を越、上本町筋の埋堀に行て、八木徳左衞門母衣をもかけす冑をも着, 兄豐後守と同しく二月, して、豐後守つ子、去年高名せしといふユ, 中旬より尼崎の番替に, や、疑ふへき事也、附して後の考に備ふ、, 行しか、四月初より大阪に至り、此陣を勤む、或説に、去年冬陣に池田攝津利, 馬助にや、是も其名を詳にせす、但し豐後守つ弟彌三右衞門十六歳ニて、去, 政の從者渡邊内藏允、八田豐後守つ子某を取つひて高名させしと云、何所, 年初陣成し、もし此人を豐後守ろ子と傳へあやまれるも知つたし、され共, の戰にや詳ならす、按るに、勝れて高名すへき場なし、豐後守か子と云は求, 彌三右衞門去年高名せし事を聞す、ことし彌三右衞門か甲首とりし式〓, 元和元年五月七日, 五一六

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  • 兄豐後守と同しく二月
  • して、豐後守つ子、去年高名せしといふユ
  • 中旬より尼崎の番替に
  • や、疑ふへき事也、附して後の考に備ふ、
  • 行しか、四月初より大阪に至り、此陣を勤む、或説に、去年冬陣に池田攝津利
  • 馬助にや、是も其名を詳にせす、但し豐後守つ弟彌三右衞門十六歳ニて、去
  • 政の從者渡邊内藏允、八田豐後守つ子某を取つひて高名させしと云、何所
  • 年初陣成し、もし此人を豐後守ろ子と傳へあやまれるも知つたし、され共
  • の戰にや詳ならす、按るに、勝れて高名すへき場なし、豐後守か子と云は求
  • 彌三右衞門去年高名せし事を聞す、ことし彌三右衞門か甲首とりし式〓

  • 元和元年五月七日

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  • 五一六

注記 (24)

  • 1077,641,59,1494〓、石田其鑓奪て直に鑓付首を取、八田彌三右衞門
  • 376,640,59,2214前に六尺計の溝あり、衆みな溝を廻りたるに、船橋ひとり馬にて飛越先に
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