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るへし、今は小矢部川と千保川との落合にて、所謂二上の渡場の邊り也、されは上代, 一、按に守山の地は、古國府の近地にて、守護町の名今邑名ニ成れり、義經記に、文治一、, 師子かしらと呼ひたりしを、後に師子がつらと呼誤りたるもの也、天正の頃は射水郡, 守護近き處にて候へは云々とあり、三州志に如意渡は六渡寺ノ渡、如意城は古國府な, るへしと、平次按に、守護近き處といへるは、守山守護町に守護居たる故なり、又守, にての城下なりし故に、戸數多く輻湊なる地なりといへり、越の海門に、, 年源義經北國通行の時、如意の城を舟にめして渡をせんとし給ふに、渡守是は越中の, なる亘理驛なり、古寫本和名抄には曰理驛とあり、肥前風土記に造備船漕渡人物、因, と申山ニ而有之處、神保安藝守居城之比、守山と名付候由申傳候と載たり、三州志故, 墟考にも、守山古へは獅子ケ面と云、今は官林こて碧林鬱葱たりと、平次按に、古名, 護町村の隣邑に渡村といふあり、此地は延喜兵部式に載られし、越中國驛馬七驛の中, 〓曰理郷とあれは、越中の曰理驛も射水河の邊りにて、いにしへ渡場ありし故の名な, こゝもいくとせふる城の跡, 守山ときくは近江の名なれとも, 守山ノ來歴, 獅子ケ面ト, 云フトノ説, 守護町, 亘理驛, 天正十三年閏八月十一日, 一六三
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- 守山ノ來歴
- 獅子ケ面ト
- 云フトノ説
- 守護町
- 亘理驛
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- 天正十三年閏八月十一日
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- 一六三
注記 (21)
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