『大日本維新史料 編年之部』 2編 3 安政1年2月1日~同年2月10日 p.478

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する頃、其驛にかねてより旅宿を定め、こたびおほやけゟ應接の事掌らしめらるゝ方の旨, せて申すやうは、昨日打立ちたる人數も川崎の驛の泊より、火器の類は大小に限らす盡く, 得させ、某は加奈川の驛留守居何がしの宿所に立寄り、應接の日を問ふに九日なるべしと, 故に其申すに任せて横濱にせられたるよし、もし海岸に大小の火器を運ぶさま、かの舶に, 遠見の鏡にはもののいろめも鮮かに見えぬべし、應接のかりやを浦賀に建てらるべきを、, ば、かれ等が目にかゝらぬ樣ありたきとの沙汰とぞ聞ゆる、其事あとより來る供人に心, て見つけなむには其非難を申してこゝをやめむ事計りがたし、かくてはゆゝしき事なれ, 承りて、事の齟齬なからむやうに心づかひする留守居何がしの許より、一人の小もの走ら, て晝支度とゝのへ、夫より供人をば跡に殘し、某ひとり馬を早めて加奈川の驛に入らんと, この海岸より十町ばかりの所に碇を卸したれば、このあたりを往來する人馬はかの方の, 持たせたる砲迄も掩ひ包みて人目にかゝらぬ樣にすべしとの事也、其故を尋ぬれば、異船, 答ふ、兎かくする内雨降出づ、人馬の足も疲れたれは此所迄著きぬるよし、總奉行の許ま, 中ごろにしてやめられたるも、かしこは固めの人數など多くうるさしとて、夷人の嫌ひし, むしろ包にして送るべしと美作守殿よりのさしづにて、其通りに計らひし事なれば、某が, で申送り、此夜はこゝに宿る、浦賀同心吉村一郎某がこゝ許にあるを傳へきゝて訪ひ來つ、, 神奈川驛止, 浦賀同心來, 宿, 談, 安政元年二月七日, 四七八

頭注

  • 神奈川驛止
  • 浦賀同心來
  • 宿

  • 安政元年二月七日

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  • 四七八

注記 (21)

  • 1730,641,62,2216する頃、其驛にかねてより旅宿を定め、こたびおほやけゟ應接の事掌らしめらるゝ方の旨
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