『大日本史料』 11編 19 天正13年閏8月 p.274

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休み居たる所に、新納忠元兼て謀りし貳千餘人を引率し、潛かに三船へ押寄、鬨を吐と, 部・津守・木山の城々、一戰にも不及降りけり、阿蘇大宮司は代々豐後大友の縁類にて、, 無二の交なりけれとも、家人共斯成ける上は詮方なく、鹿兒嶋に屬すと聞へけれは、合, 方に屬し、義久主に從ひぬれは、頓て筑後へ御出張有へしとて、人數を催し玉ひける、, 城へも入得す、花の山より直に矢部の城へ落行ける、斯しかは田代・高佐・堅志田・矢, 此事さつまよりいこんにおほしめし、やかてつゝきのほらせ給ふほとに、, て皆打すてゝのきにけり、やかてくまの庄も下城して、さつまへこそはわたしけれ、そ, 志に竹迫藏人親爲、山本には内古賀鎭房、山鹿有動、小代下總守、大津山河内守、皆味, 剃髮染衣の盜となり、宗立と改名して、人質を出し降參す、舍弟惟義ハ此由を聞よりも、, 作り掛、揉にもんて攻たりける、城中の勢は花の山に向ひ、防くへき便なけれは、親秀, 十萬よきはや八代につきにけり、をなしく潤八月十一日に、くまのしやう口へかけさせ, 給へは、ほとなく二百よきかかうへをはね、はや勝ときをそあけ給ふ、同十三日、かう, 〔古今戰〕, さ・かたし田兩城をつめくつし給ひけり、又その十五日には、みふね・き山・つもりま, 天正十三年閏八月十五日, ○上略、肥後花山壘, ○舊典類聚, 十六所收, 陷ルコトニカヽル、, 甲斐宗立降, リ弟惟義矢, 部ニ逃ル, 天正十三年閏八月十五日, 二七四

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  • ○上略、肥後花山壘
  • ○舊典類聚
  • 十六所收
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  • 甲斐宗立降
  • リ弟惟義矢
  • 部ニ逃ル

  • 天正十三年閏八月十五日

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  • 二七四

注記 (24)

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