『大日本史料』 11編 20 天正13年9月 p.20

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給ふ、老從各相談有て、祖谷の奥里遠き山家の美に叶はざる者ども治せしむる爲に、兼, 我、則須討平之、家政許之、部下兵多屬之、兼定亦相從、一揆強固而連發鳥銃、陣于山, りて、惣右衞門に鐵砲を打懸る事雨の降るか如し、向ひ來賊徒數多惣右衞門か手に懸て, たる聖主、地に奉せる明君なりと、其徳を稱し奉らぬ者はなし、則ち渭山の本城に移り, 服せすといふもの無し、朝陽不犯とも殘星光りを奪ふるの習ひなれは、自國の侍首を低, れて、招かさるに集り、不攻に從ひ著く事、只吹く風に草木の靡くか如し、誠に天に受, 松惣右衞門を遣はされけれは、傍若無人の奴原、爰の谷彼處の在家より雲霞の如く馳集, 打果しけれとも、多勢に無勢の叶ひ難く、惣右衞門も討死す、, 等五百人、企一揆不隨家政、於是山田八右衞門宗重、請家政朝臣曰、使下ニ仁宇谷賜上レ, 口宮上處曰田野淵、兼定拔群合鑓、屡戰大利擁之、宗重攀儕野筒山下、瞰敵於目前、, 仁宇谷の奧を攻させんか爲に、梶浦與四郎を遣はされ、此處彼處の在々を攻め無可給治、, 竟平之、到于如今爲山田家之采地、從是自爲山田家之士、領山口村相從宗重、, 〓徴占雜抄續編〕阿波一蜂須賀家政公阿波國御入國并御家御繁昌之事, 〓仕家政公阿波の國を拜領有て、徳窮民を撫るに足り、威萬人の上に被ふる、其權勢に, 略, 略, ○上, ○下, ヒ一揆ト戰, 討死ス, 田元重ニ從, 松惣右衞門, 家政ノ將兼, 山室兼定山, 天正十三年九月二日, 二〇

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  • ○上
  • ○下

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  • ヒ一揆ト戰
  • 討死ス
  • 田元重ニ從
  • 松惣右衞門
  • 家政ノ將兼
  • 山室兼定山

  • 天正十三年九月二日

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  • 二〇

注記 (26)

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