『大日本史料』 11編 20 天正13年9月 p.192

Loading…

要素

割注頭注ノンブル

OCR テキスト

申べきやと存づれども、始終の義いかゞ思召さるべきと、念の爲に申上るなりと云、道, 成候故ニ、醫藥も專ら手を盡し候といへとも、其驗も見へ給はす、御遺言こ云、御尊骸, 介抱を奉申上居し之、御再發被成て御容子も打替り、日を追て被差重、御疲勞強く相, 雪聞て、おのれはにくき奴なり、秋月ほどのものを、おのれを頼み、だまし打にすべき, や、秋月などは息災にてあらしめ、重て一戰の場にて勝敗を決せんこそ本意なるに、き, 用心あれとふれさせらる、, たなき心底の奴かな、成敗と思へども命を助くるぞとて追放せられ、さて秋月の城下へ, 人を遣はして、秋月殿〓相の躰にて、見物の座へ御出を、立花の家來ねらひ申ぞ、能々, を高良山之葬り可奉、軍神と被爲成、御國家御守護可有との給ひて、終ニ御逝去被遊, 齡七十三こして、筑後國三井郡高良山於御陣中薨し給ふ、, 一、天正十三乙西九月三至り、七八月の比より御不例少御快方ニ被爲趣、諸臣も悦合て御, に出られたるを、能見覺えたり、某に被仰付は、彼芝居にて必定打奉るべし、今日も打, ける、于時天正十三乙酉年九月十一日、戸次丹後守源朝臣鑑連入道麟白軒道雪公、御, 〔傳習館文庫柳河藩政資料〕梅岳君御軍功實〓黄, ○中略、高橋紹運等道雪ノ遺骸ヲ立, 花ニ送ルコトニカヽル、上ニ收ムル, 追放ス, 道雪家來ヲ, 天正十三年九月十一日, 一九二

割注

  • ○中略、高橋紹運等道雪ノ遺骸ヲ立
  • 花ニ送ルコトニカヽル、上ニ收ムル

頭注

  • 追放ス
  • 道雪家來ヲ

  • 天正十三年九月十一日

ノンブル

  • 一九二

注記 (20)

  • 1712,668,76,2251申べきやと存づれども、始終の義いかゞ思召さるべきと、念の爲に申上るなりと云、道
  • 581,740,79,2195成候故ニ、醫藥も專ら手を盡し候といへとも、其驗も見へ給はす、御遺言こ云、御尊骸
  • 707,737,79,2195介抱を奉申上居し之、御再發被成て御容子も打替り、日を追て被差重、御疲勞強く相
  • 1584,666,78,2256雪聞て、おのれはにくき奴なり、秋月ほどのものを、おのれを頼み、だまし打にすべき
  • 1457,675,77,2246や、秋月などは息災にてあらしめ、重て一戰の場にて勝敗を決せんこそ本意なるに、き
  • 1080,673,57,650用心あれとふれさせらる、
  • 1335,684,77,2230たなき心底の奴かな、成敗と思へども命を助くるぞとて追放せられ、さて秋月の城下へ
  • 1206,674,78,2239人を遣はして、秋月殿〓相の躰にて、見物の座へ御出を、立花の家來ねらひ申ぞ、能々
  • 455,750,82,2188を高良山之葬り可奉、軍神と被爲成、御國家御守護可有との給ひて、終ニ御逝去被遊
  • 205,746,72,1457齡七十三こして、筑後國三井郡高良山於御陣中薨し給ふ、
  • 834,681,80,2249一、天正十三乙西九月三至り、七八月の比より御不例少御快方ニ被爲趣、諸臣も悦合て御
  • 1840,677,76,2239に出られたるを、能見覺えたり、某に被仰付は、彼芝居にて必定打奉るべし、今日も打
  • 331,750,80,2188ける、于時天正十三乙酉年九月十一日、戸次丹後守源朝臣鑑連入道麟白軒道雪公、御
  • 944,662,91,1387〔傳習館文庫柳河藩政資料〕梅岳君御軍功實〓黄
  • 252,2245,57,699○中略、高橋紹運等道雪ノ遺骸ヲ立
  • 205,2244,55,695花ニ送ルコトニカヽル、上ニ收ムル
  • 1308,323,42,122追放ス
  • 1353,324,44,212道雪家來ヲ
  • 1952,792,48,435天正十三年九月十一日
  • 1970,2434,47,113一九二

類似アイテム