『大日本史料』 11編 20 天正13年9月 p.396

Loading…

要素

頭注ノンブル

OCR テキスト

は九州六ケ國餘おさめ大身成故に、辭難くや思はれけん、剩祐成の太刀を相添給りぬ、, 大友氏時御馳走被成、深く一味の誓を以て、此刀を進之らる、骨啄と云事、戲に人にむ, ことくなるもの、幾千萬といふかすをしらす、舟を心かけたるやうに見え來る、兵部少輔, かひ切まねをなさるれは、即時に骨摧けるによつて號せらるゝ、此旨をも御物かたりに, 此刀を得て、天下の權柄を執、御秘藏有を、大友家先祖の重寶成故、御所望なされんた, て進らる、尊氏公此刀を得て本意をとけられ、代々公方の重寶と成しを、何の時にか多, 賀豐後守此かたなを求得て所持せし處に、永祿八年乙丑五月十九日に、三好左京大夫・, の價を松長公へ獻し申請らるゝ、松長おしくはおほしめさるれとも、その比大友宗麟公, めに、同八年に毛利兵部少輔鎭實を使者として、錦〓・厚板・卷物以下、金銀凡三千兩, 右骨啄の刀は、大友家重代の寶刀也、しかるを建武のころ、尊氏將軍鎭西御下向の時、, 思やう、松長太刀を給り、又おしくおもひ取かへしにやきたるとおもひ、船中の者とも, 毛利兵部少輔下向の時、播磨灘にて不思議有、夜に入て船の跡一二里もあらんに、燈の, に心を付、命のあらん程は、此かたなにおゐては放ましきと、荒言いひちらしけれは、た, 松長彈正逆心をおこし、義輝公方を〓し奉りしとき、豐後守戰死をとけし後、松長霜毫, 骨啄刀ノ由, 來, 天正十三年九月二十七日, 三九六

頭注

  • 骨啄刀ノ由

  • 天正十三年九月二十七日

ノンブル

  • 三九六

注記 (18)

  • 724,690,77,2212は九州六ケ國餘おさめ大身成故に、辭難くや思はれけん、剩祐成の太刀を相添給りぬ、
  • 1729,674,77,2249大友氏時御馳走被成、深く一味の誓を以て、此刀を進之らる、骨啄と云事、戲に人にむ
  • 479,690,70,2252ことくなるもの、幾千萬といふかすをしらす、舟を心かけたるやうに見え來る、兵部少輔
  • 1603,678,76,2240かひ切まねをなさるれは、即時に骨摧けるによつて號せらるゝ、此旨をも御物かたりに
  • 1102,674,75,2253此刀を得て、天下の權柄を執、御秘藏有を、大友家先祖の重寶成故、御所望なされんた
  • 1476,678,78,2249て進らる、尊氏公此刀を得て本意をとけられ、代々公方の重寶と成しを、何の時にか多
  • 1354,675,76,2245賀豐後守此かたなを求得て所持せし處に、永祿八年乙丑五月十九日に、三好左京大夫・
  • 851,683,76,2245の價を松長公へ獻し申請らるゝ、松長おしくはおほしめさるれとも、その比大友宗麟公
  • 979,687,75,2245めに、同八年に毛利兵部少輔鎭實を使者として、錦〓・厚板・卷物以下、金銀凡三千兩
  • 1854,673,78,2209右骨啄の刀は、大友家重代の寶刀也、しかるを建武のころ、尊氏將軍鎭西御下向の時、
  • 348,678,75,2260思やう、松長太刀を給り、又おしくおもひ取かへしにやきたるとおもひ、船中の者とも
  • 598,679,75,2252毛利兵部少輔下向の時、播磨灘にて不思議有、夜に入て船の跡一二里もあらんに、燈の
  • 222,686,78,2246に心を付、命のあらん程は、此かたなにおゐては放ましきと、荒言いひちらしけれは、た
  • 1227,683,80,2248松長彈正逆心をおこし、義輝公方を〓し奉りしとき、豐後守戰死をとけし後、松長霜毫
  • 1876,316,42,222骨啄刀ノ由
  • 1829,318,42,41
  • 1971,802,45,479天正十三年九月二十七日
  • 1990,2433,44,124三九六

類似アイテム