『大日本史料』 11編 21 天正13年10月1日 p.105

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馳走は過分こ奉存候へとも、某罷歸候砌以御代官殺害可被仰付由、慥に承候と云も不敢, を被入下候、爲御禮輝宗公へ先參拜之付、於宮森安房守成實取次にて、輝宗公の御前へ, 義繼出仕之剋、義繼郎等高林内膳・鹿子田和泉・大槻中務少三人ヲも、御座敷へ義繼同, 取へき物を、其外鹽之松合戰中、義繼爰かしこにおゐて、諸人に勝れ働候間、其科遁れ, 丸、人質に米澤へ可指越之旨上意によつて、又義繼訴状之は、二本松領南成共北成とも、, ことく進退被下被召仕可被下由、達而訴申ニ付、政宗公奇特に被思召、中五ケ村え北方, 一方被指添被下候やうにと申上候へとも、御承引なきによつて、輝宗公御陣所鹽之松近, 前に被相入候處、廊下にて鹿子田和泉義繼の袖を扣へ、何事をかつふやき、於御座敷御, 所宮森と云所へ、義繼扇一本にて懸入、此上は切腹可仕候之間、只今迄召仕候侍共、本の, 禮之時宜相濟、表の庭まて爲門送、輝宗公出御被成置候處、義繼御禮申上、其上色々御, かたく候由被仰付、中〳〵御承引なく候へとも、輝宗公色々御侘言によつて、南は杉田, 出、悉追散し、大内か家老迄討捕候ニ付、鹽之松籠城堪兼沒落と覺候、さなくは手間を, 川切、北は湯井川切之被助渡、中五ケ村を以進退被相立、其上義繼子十二歳ニ成候國王, 繼先懸として城内づ働出候といへとも、白石か武略をもつて、敵不思寄所より横入に懸, 政宗義繼ニ, 二本松北方, ヲ安堵スト, ノ説, 天正十三年十月八日, 一〇五

頭注

  • 政宗義繼ニ
  • 二本松北方
  • ヲ安堵スト
  • ノ説

  • 天正十三年十月八日

ノンブル

  • 一〇五

注記 (20)

  • 269,643,69,2263馳走は過分こ奉存候へとも、某罷歸候砌以御代官殺害可被仰付由、慥に承候と云も不敢
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