『大日本史料』 11編 別巻2 p.222

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エス・キリストの御代官の御足に接吻し、聖教會に服從を表すため、日本の島よりローマ, グレゴリヨより公式〓見を與へられたり、これ即ち、アントニオ・チカレルリの一五八六, に招かれ、その旅行に三箇年を費したり、當市に於いてポルトリヤと稱せらるゝアノンチ, ヤタの僧院なる耶蘇會のパードレ等の許に宿泊し、ローマに著しては、同月二十三日教皇, 〔フィリッポ・カソニ編ゼノア共和國年代記〕, 該地方の國王三人の名を以て、教皇廳、竝びに教皇グレゴリヨに服從を表したり、彼等, 年刊、グレゴリヨ傳に掲ぐるところなり、, は、豐後の王の使節にして日向の王の孫なるドン・マンシヨ、その伯父有馬の王の使節に, 八十一號譯文), 八月、日本の公子四名、その國への歸途、ゼノヴァに到著せり、彼等は三年以前に耶蘇會, 一五八五年, のヴィジタドール、パードレ・アレッサンドロ・ヴァリニヤニと日本よりローマに赴き、, (歐文材料第百, ○ゼノア市, 文書館所藏, 使節等ぜの, あニ到著ス, 天正十年是歳, 二二二

割注

  • ○ゼノア市
  • 文書館所藏

頭注

  • 使節等ぜの
  • あニ到著ス

  • 天正十年是歳

ノンブル

  • 二二二

注記 (19)

  • 1806,634,62,2275エス・キリストの御代官の御足に接吻し、聖教會に服從を表すため、日本の島よりローマ
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