『大日本史料』 12編 1 慶長八年二月~同九年二月 p.928

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萬石をたまふ、, 雄か養女, 當家譜第のものなり、汝男あるにをいては、めしつかはるへきのむね仰, は、汝か祖父九十郎は、尾張國高圃城を守り、忠節をいたす、まことにこれ, 二月京師にをいて、從五位下信濃守に敍任し, を蒙る、九年正月二十四日、京師にをいて死す、年五十二、法名淨心、紫野大, はやく父祖に後れて流浪せしゆへ、事のよしを詳にせすと言上せしか, 先祖のことをとはせたまふにより、尾張國の住人近藤九十郎か孫なり, らる、のち男正成を携て大坂城にいたり、東照宮に拜〓す、ときに重勝か, れ、重勝か養子となり、慶長五年三月、はしめて東照宮に拜〓す, れより御小性に列し、御膳番をつとむ、小山、關原等の御陣に供奉す、八年, 徳寺の大清庵に葬る、これ正成か開基せしところなり、妻は伊藤兵部重, 政成實は堀左衞門督秀政か四男、母は某氏、天正十六年、越前國北莊に生, 將軍宣下御拜賀として、御參内のとき扈從す、九年四月五日、父か舊領一, ○政成卒シテ、子重直幼稚ナルニヨリ、封土ノ半ヲ削ラレ、寄合ニ列ス, 二十五日、, こ, 慶長九年正月二十四日, 日ノ條ニアリ, ○八年三月廿五, 三歳、, 時に十, 近藤政成, 慶長九年正月二十四日, 九二八

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  • 日ノ條ニアリ
  • ○八年三月廿五
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  • 時に十

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  • 近藤政成

  • 慶長九年正月二十四日

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注記 (25)

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