『大日本史料』 12編 2 慶長九年三月~同十年二月 p.387

Loading…

要素

割注頭注ノンブル

OCR テキスト

つとむ、, 天正十八年八月、關東にうつ, 將に宴をたまふのとき、康成も、其席にめし加へらるへきむね恩命あり、, 卒爾にたゝかひし條、曲事なりとて, これより大胡にかへり、公事を辭して閑居す、, はゝかりて、吾妻にあり、九年、大猷院殿御生誕の嘉儀により、御譜第の諸, ときに、康成多病なるにより、男忠成を代官として、江戸におもむかしめ、, 御諱字をたまはり、忠成と稱す、, 砦を守らしめたまひ、數月にして、御ゆるしありといへとも、猶御むねを, 忠成天正九年、牛窪に生る、東照宮に仕へたてまつり、のち、台徳院殿より, 其御咎めとして、上野國吾妻の, 年八月、上方の逆徒御追討のとき、台徳院殿に扈從し, 軍令を犯して、, 候所に、思之外著座の數に入、御祝の御座敷に列て、大慶大方ならす、父右馬, 允是を承り、餘りに滿足、感〓に及ひ、則大胡ヘ罷歸、其後、隱居之願申上候所, に、願之通隱居被仰付、, らせたまふのゝち、上野國勢多郡大胡にをいて、二萬石をたまふ、慶長五, 慶長九年より、父にかはりて公事を, 牧野康成, 〔寛政重修諸家譜, 初貞, ○中, ○中, ○中, 略, 成, 略, 略, 三百六, 十四, 〓〓六, 牧野康成, ノ閉居, 牧野忠成, 慶長九年七月十七日, 三八七

割注

  • 初貞
  • ○中
  • 三百六
  • 十四
  • 〓〓六

頭注

  • 牧野康成
  • ノ閉居
  • 牧野忠成

  • 慶長九年七月十七日

ノンブル

  • 三八七

注記 (36)

  • 203,716,54,202つとむ、
  • 1504,2000,58,835天正十八年八月、關東にうつ
  • 789,706,69,2155將に宴をたまふのとき、康成も、其席にめし加へらるへきむね恩命あり、
  • 1138,705,61,1067卒爾にたゝかひし條、曲事なりとて
  • 556,712,62,1357これより大胡にかへり、公事を辭して閑居す、
  • 906,709,68,2139はゝかりて、吾妻にあり、九年、大猷院殿御生誕の嘉儀により、御譜第の諸
  • 673,714,68,2140ときに、康成多病なるにより、男忠成を代官として、江戸におもむかしめ、
  • 315,710,61,929御諱字をたまはり、忠成と稱す、
  • 1017,697,75,2148砦を守らしめたまひ、數月にして、御ゆるしありといへとも、猶御むねを
  • 435,635,71,2207忠成天正九年、牛窪に生る、東照宮に仕へたてまつり、のち、台徳院殿より
  • 1149,1924,61,911其御咎めとして、上野國吾妻の
  • 1257,705,67,1571年八月、上方の逆徒御追討のとき、台徳院殿に扈從し
  • 1273,2432,57,422軍令を犯して、
  • 1850,626,67,2213候所に、思之外著座の數に入、御祝の御座敷に列て、大慶大方ならす、父右馬
  • 1730,628,69,2212允是を承り、餘りに滿足、感〓に及ひ、則大胡ヘ罷歸、其後、隱居之願申上候所
  • 1609,635,59,634に、願之通隱居被仰付、
  • 1377,708,68,2133らせたまふのゝち、上野國勢多郡大胡にをいて、二萬石をたまふ、慶長五
  • 327,1787,63,1060慶長九年より、父にかはりて公事を
  • 1498,1494,56,276牧野康成
  • 1471,592,96,556〔寛政重修諸家譜
  • 1532,1793,40,108初貞
  • 351,1655,40,112○中
  • 1298,2298,40,111○中
  • 1175,1795,41,108○中
  • 1132,1793,40,38
  • 1487,1791,38,37
  • 1255,2296,38,40
  • 307,1653,38,38
  • 1524,1221,44,174三百六
  • 1482,1219,40,105十四
  • 1479,1213,90,184〓〓六
  • 1406,262,42,171牧野康成
  • 1362,268,41,123ノ閉居
  • 431,267,42,171牧野忠成
  • 99,708,41,377慶長九年七月十七日
  • 114,2439,40,121三八七

類似アイテム