Loading…
要素
割注頭注ノンブル
OCR テキスト
し輩は、しはらく歸郷すへきむね恩命ありといへとも、忠家等これをう, 某か許より、忠家か家臣矢田部新左衞門某に贈れる密書を得て、東照宮, の役にしたかひたてまつり、御凱旋のゝち、十市郡のうちにをいて、新恩, 千石をたまふ、そのゝち、忠家癰を患るにより、紫野の順藏主は、外科の術, 和國十市郡のうちにして、采地千石をたまふ、ときに妻子を本國に殘せ, に獻り、父子おなしく伏見の向島にいたりて、御館をまもる、このとき、大, に長したるきこへあれはとて、かの僧をして療養せしめられ、また延壽, けかはす、はしめより妻子を棄て勤仕せる上者、これらのこと、こゝろに, かけさるのむね言上せしかは、御感ありて茶壺をたまふ、このとし關原, 院意庵を下され、十年四月二十九日、伏見にをいて死す、年五十七、法名宗, に候し、そのゝち關原の役に供奉す、七年、大和國山邊郡の内にをいて、采, 圓、葬地時家におなし, 忠泰母は新左衞門某か女、文禄四年、はしめて東照宮にまみへたてまつ, 慶長三年より御小性をつとめ、五年、父とおなしく伏見の御館, 地千石をたまふ、八年、從五位下豐後守に敍任し、十年、父か遺跡を繼、忠泰, 妻は成吉新左衞門某か女、, 慶長十年四月二十九日, る, ○京都知恩, 四歳、, 寺慶運院、, 時に十, 主外科ニ, 紫野順藏, 長ス, 忠泰, 一七〇
割注
- ○京都知恩
- 四歳、
- 寺慶運院、
- 時に十
頭注
- 主外科ニ
- 紫野順藏
- 長ス
- 忠泰
ノンブル
- 一七〇
注記 (27)
- 1472,699,65,2129し輩は、しはらく歸郷すへきむね恩命ありといへとも、忠家等これをう
- 1820,685,64,2138某か許より、忠家か家臣矢田部新左衞門某に贈れる密書を得て、東照宮
- 1118,701,69,2130の役にしたかひたてまつり、御凱旋のゝち、十市郡のうちにをいて、新恩
- 1002,696,68,2141千石をたまふ、そのゝち、忠家癰を患るにより、紫野の順藏主は、外科の術
- 1589,690,65,2131和國十市郡のうちにして、采地千石をたまふ、ときに妻子を本國に殘せ
- 1704,698,67,2126に獻り、父子おなしく伏見の向島にいたりて、御館をまもる、このとき、大
- 886,701,67,2138に長したるきこへあれはとて、かの僧をして療養せしめられ、また延壽
- 1354,694,65,2133けかはす、はしめより妻子を棄て勤仕せる上者、これらのこと、こゝろに
- 1238,698,66,2137かけさるのむね言上せしかは、御感ありて茶壺をたまふ、このとし關原
- 765,694,72,2145院意庵を下され、十年四月二十九日、伏見にをいて死す、年五十七、法名宗
- 301,701,69,2142に候し、そのゝち關原の役に供奉す、七年、大和國山邊郡の内にをいて、采
- 648,697,60,638圓、葬地時家におなし
- 533,624,66,2210忠泰母は新左衞門某か女、文禄四年、はしめて東照宮にまみへたてまつ
- 419,975,70,1868慶長三年より御小性をつとめ、五年、父とおなしく伏見の御館
- 182,708,72,2135地千石をたまふ、八年、從五位下豐後守に敍任し、十年、父か遺跡を繼、忠泰
- 656,1708,59,784妻は成吉新左衞門某か女、
- 1935,684,43,422慶長十年四月二十九日
- 427,705,35,51る
- 685,1354,41,329○京都知恩
- 402,781,42,120四歳、
- 639,1353,43,272寺慶運院、
- 446,780,40,178時に十
- 999,255,41,163主外科ニ
- 1043,252,44,175紫野順藏
- 955,256,43,76長ス
- 531,258,43,88忠泰
- 1944,2423,40,104一七〇







