『大日本史料』 12編 3 慶長十年三月~同十一年三月 p.191

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字朦朧として讀み得らる、, して片隅に堆積せり、一々之を檢せしに、終に卿のを見す、如何にしけん、失, 然石の二尺許りなるあり、區長曰、是れ卿の碑なりと、苔を拂ひ土を拭ふて, 望の儘去りて、善福寺の廢趾を尋ぬ、境地今は白田と成り、或は桑原柞林と, 化し了りて、更に寺跡の面影もなし、山徑に倚り、草樹に沒せんと欲する自, 後維持に窮し、先年觀音寺に合併せりと、乃ち同寺に誘はる、到り見れは、善, 福寺より移しゝといふ古堂の、荒壁のまゝなるあり、中に、古き位牌累々と, 明治三十二年暮秋の比、善福寺を探らんと志し、學文路村役場に至りて、其, 更に區長某を訪ふて其案内を請ふ、某鍬を抛ちて語りて曰、善福寺は、維新, 景況を尋ねしに、村長某き、書記に命して案内せしむ、導かれて向副に至り、, 高野山五の室谷、光臺院の後の墓所に、五輪石塔高七尺許りのあり、左の文, 濃〓岐阜前黄門, 大居士蓋シ建碑ノ月日ナラン、, 圭岩貞松○石碑摺本ニハ文字ノ, 慶長十年, 平朝臣秀信公, 七月念七日, 爲大善院殿七月十七〓アルハ, 爲大善院殿, 廿制之上延ノ梵字アリ、又, 善福寺ノ, 廢趾, 秀信ノ墓, 慶長十年五月八日, 一九一

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  • 善福寺ノ
  • 廢趾
  • 秀信ノ墓

  • 慶長十年五月八日

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  • 一九一

注記 (25)

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