『維新史』 維新史 1 p.118

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第三には安藤爲實を總裁とし、貞享三年以降「禮儀類典」を編せしめたことを擧ぐ, 拾葉集」と同じく題號を賜はつたのであつた。, を〓稿したものであつた。而して書の成るや、之を靈元上皇に奉獻し、先の「扶桑, を完成せしめ、更に諸臣を督して自ら「釋萬葉集」の撰者となつたことである。又, べく、此の書は光圀生存中に完了するに至らず、漸く寶永七年に至つて五百十卷, 代に入るや、楠木正成を崇拜する風潮は、「太平記」を中心として漸次旺盛となり、楠, み、先づ明暦年間尼ケ崎城主青山幸利, を湊川の廣嚴寺に派し、關係史料を蒐集せ, に建てようとしたが、已が地位の微賤で階越の嫌ひあるに鑑みて之を中止した。, 遊學を終へて歸路之に詣で、兵庫在なる藩の本陣鷹見家に託して、小石碑を〓上, 地に松梅二樹を植ゑて塚標とした。次いで福岡藩の貝原盆軒は、寛文四年京都, 流兵學と稱せられるものが世に尊ばれた。斯かる趨勢は楠公遺蹟の顯彰を生, 第四に擧ぐべきは、最も人口に膾炙せる湊川建碑の事蹟である。蓋し江戸時, 光圀は貞享二年史官の佐々宗淳, は、領内坂本村(湊川)に於ける正成戰死, しめたが、其の意は建碑に向つて動き、元祿五年旨を宗淳に含めて再び湊川に派, 大膳, 介三, 亮, 郎, 湊川の建, 碑, 第一編尊王論の發達, 一一八

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  • 大膳
  • 介三

頭注

  • 湊川の建

  • 第一編尊王論の發達

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  • 一一八

注記 (24)

  • 1601,575,65,2279第三には安藤爲實を總裁とし、貞享三年以降「禮儀類典」を編せしめたことを擧ぐ
  • 1274,576,59,1276拾葉集」と同じく題號を賜はつたのであつた。
  • 1380,578,64,2277を〓稿したものであつた。而して書の成るや、之を靈元上皇に奉獻し、先の「扶桑
  • 1712,582,62,2269を完成せしめ、更に諸臣を督して自ら「釋萬葉集」の撰者となつたことである。又
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  • 1049,578,59,2278代に入るや、楠木正成を崇拜する風潮は、「太平記」を中心として漸次旺盛となり、楠
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