『大日本史料』 12編 3 慶長十年三月~同十一年三月 p.275

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十石餘をたまひ, 二十八日死す、年八十、法名月江、, にあり、關原凱旋の, 妻は木寺の宮の女、, 火し、すてにして、吉田に發向せんとす、このとき、御味方の兵寡きにより、, 年四月、武田勝頼、長篠城を圍み、五月六日兵を分ちて、二連木、牛久保を放, 數正、をよひ渡邊戌忠等よりも起請文を贈りしかは、基胤則御陣にまい, 小石川の祥雲寺に葬る、, とき、加勢として松下某を下され、仰によりて、かたく居城を守る、天正三, りて、まみえたてまつり、恩命の辱を謝す、元龜三年十二月、味方原合戰の, に基胤も殿の諸士に加はり、鎗を合せ高名あり、慶長十九年, 酒井忠次殿して吉田城に軍をおさむ、山縣昌景、〓に跡を躡て來る、とき, 和田、無木等の本領、相違あるましきむね、御判物を下され、酒井忠次、石川, 權田織部佐泰長と、一紙の御誓書を賜ひ、しかのみならす、遠江國崎村、櫛, 其のちも忠勝に從ひて、上總國小瀧, 六月, 基宿母は木寺の宮の女、天正十八年、小田原陣のときは、本多忠勝か手に, のち、本領遠江國敷知郡堀江村、櫛和田等の六村にをいて、釆地千五百五, 屬し, 今の呈譜月江, ○今ノ, 院雪天長盛, 今の早, 大多喜, ○中, 譜十年, 略, ○下, 略, 基胤ノ葬, 大澤基宿, 地, 慶長十年六月二十八日, 二七五

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  • 今の呈譜月江
  • ○今ノ
  • 院雪天長盛
  • 今の早
  • 大多喜
  • ○中
  • 譜十年
  • ○下

頭注

  • 基胤ノ葬
  • 大澤基宿

  • 慶長十年六月二十八日

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  • 二七五

注記 (34)

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