『大日本史料』 12編 20 元和元年五月 p.213

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りとそ、此事を何某か子孫に語傳へしとなん, 眞田、大野, ニ只今用意はあらされとも、立歸りて金子を調、明日必忍ひて送るへしと, 此事を聞て、基次は天下の名將と承る、いかて斯は惡口し給ふと尋けれは、, を肝要とす、嚮ニ我は眞實を以て告しを、基次年比我と交りて我をしらす、, 約して立歸り、其翌朝金子十兩才覺して、基次ニ贈らんとかしこニ行て尋, としらて、此年月友とせしこそ悔したれと獨言して立歸りしに、何某か子, 基次如何そ大事を成就なすへをき、大將の器ニあらす、大將はよく人を知る, 關か原の役後、大坂方の敗兵、九州邊へ落隱れし者は、關東より格別の御穿, 身を隱しぬ、如此人を知り得さけ多盲人ニて、いかて事を成へきとあさ笑た, 然として恨めしたに嘆息し、又晒然としてあさ笑ひ、基次かゝ多たはけ者, ぬれは、基次は、昨夜中何方へか立去て行衞しれすと聞へにれは、何某は〓, 貯の滅る事、是指當りての心配也と云は、夫も何かくるしかるへき、我懷中, り、ゆるし給へてよ、扨斯して一曰〳〵と立忍へと、させる事もなく、次第ニ, エタ, リ、, 下略○後藤基次生存ノ説、本, 月六日、基次戰死ノ條ニモ見, 眞田幸村, 大野治長, 元和元年五月八日, 二一三

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  • 下略○後藤基次生存ノ説、本
  • 月六日、基次戰死ノ條ニモ見

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  • 眞田幸村
  • 大野治長

  • 元和元年五月八日

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  • 二一三

注記 (22)

  • 638,625,61,1365りとそ、此事を何某か子孫に語傳へしとなん
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