『大日本史料』 12編 4 慶長十一年四月~同十二年七月 p.994

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セ玉フ處ニ、法印モ賞吟不淺トカヤ、, くといふ者死したるを、しゆかんと覺違ひたるとなり、しゆかんはそのこ, 無左義不審のよしにて御尋被成候へは、しゆかんにてはなくして、しゆか, 或記ニ曰、古相國、駿府御城戌就ノ御祝詞ニ、三百韻ノ連, 世に其功を殘すへしとて、常慶門と名附らる、此常慶は、駿州遠州の御郡代, 也、されは此役儀ゆへ、府中に於て町屋敷を下さる、是を常慶町と云り、今猶, 造營の事を司けるの、餘多の人夫を入、纔す日の内に此虎口出來す、故に後, と云傳ふ、故に百姓の事を司りしにそ、他に増りて數多の人夫を出せしと, と云虎口有り、其權輿を尋るに、慶長十二年東照宮命有りて、當城を立られ, ろ御賄奉行也と云へり、, たり、是に依て大小名各御手傳を命せらる、其時松下常慶と云し人、此御門, き〳〵の盛かな」ト有ケレバ、相國御感有テ、即其懷紙ヲ持セ、玄旨法印ヘ見, 常慶御門駿府雜談云、今は昔、駿府二丸に常慶御門, 其名存せり云云、, 歌興行仰付ラレシトキ、板倉六右衞門入道正佐、卷頭發句、「並木たゝ花はす, 駿國雜志〕, 〔東武談叢〕, 四十, 之四, 二十七, 二, 歌興行, 常慶門, 三百〓連, 常慶町, 慶長十二年七月三日, 九九四, 慶長十二年七月三日

割注

  • 四十
  • 之四
  • 二十七

頭注

  • 歌興行
  • 常慶門
  • 三百〓連
  • 常慶町

  • 慶長十二年七月三日

ノンブル

  • 九九四
  • 慶長十二年七月三日

注記 (28)

  • 1114,664,60,1073セ玉フ處ニ、法印モ賞吟不淺トカヤ、
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