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石をたまふ、これより石川を稱す、, 成堯實は大久保相模守忠隣か五男、母, 軍起りし時、日向守家成、掛川の城に止り、長門守康通は、小牧の御陣に從ひ, 門忠世と同じく、甲斐信濃打隨へ、天正の十二年、信雄卿を助け給ひ、羽柴と, たり、長湫の合戰、上方の軍既に利を失ひ、秀吉の多勢樂田を打立て、長湫に, 向て馳す、本多平八郎忠勝、戰ひ勞れたらん御方の、荒手の多勢と軍せん事, 覺束なし、馳せ加て御先を懸けんとて小牧を出づ、長門守康通も同じく續, 先陣にそ候ひける、此程は家成既に老ぬれば、康通常に軍には從ひけり、さ, 室は植村出羽守家存か女、, 及ばず, におなし、慶長十二年、外祖父忠成の隱栖の料、伊豆國梅繩において五千, 家成か男長門守康通、首十六を獻る、武田滅し年の秋、康通、大久保七郎右衞, て馬を馳せ、尾幡の御陣へ馳參る、頓て小牧に引かへし玉ひければ、戰には, 小田原を攻られしに、康通, 高天神の城落し時、, 七月二十六日卒す、年五十四、華嶽宗英と號す, は忠總, 藩翰譜〕, 事のみを知て、石川か事を知る者稀なり, 、山中忠兵衞が記に詳なり、世の人、本多が, ○忠隣ノ二男、, ○上略、康通ノ父家成ノ事蹟二カヽル、十, 四年十月二十九日家成卒スル條ニ收ム, 忠隣ノ室, 家成ノ養子、, ○家成ノ女, 小牧役ニ, 於ケル康, 成堯, 通, 慶長十二年七月二十六日, 一〇一七
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- 事のみを知て、石川か事を知る者稀なり
- 、山中忠兵衞が記に詳なり、世の人、本多が
- ○忠隣ノ二男、
- ○上略、康通ノ父家成ノ事蹟二カヽル、十
- 四年十月二十九日家成卒スル條ニ收ム
- 忠隣ノ室
- 家成ノ養子、
- ○家成ノ女
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- 小牧役ニ
- 於ケル康
- 成堯
- 通
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- 慶長十二年七月二十六日
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- 一〇一七
注記 (32)
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